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【自宅を使わないお葬式専門】

おくりびとからのメッセージ ~グリーフケア~

SBCラジオ「武田徹のつれづれ散歩道」内で「おくりびとからのメッセージ」レギュラーコーナーを担当。

武田徹: おくりびとからのメッセージ。
いつものように、つばさ公益社の篠原憲文さんです。今日はよろしくお願いいたします。


篠原憲文: よろしくお願いします。


武田徹: つばさ公益社さん、今お葬式一体どのぐらいお金が掛かるのかっていうのは、非常に不明瞭なところが多いのでございますが、言ってみれば経済的と言っていいんでしょうかね、お手頃なお値段でいろんなバリエーションがあるということ、これはつばさ公益社さんの、まあ言ってみれば非常にねえ、お客さんが多いということの一つの大きな理由じゃないですか。

篠原憲文: ありがとうございます。
おかげでオープンしてまだね、割と3ヶ月ちょっとぐらいなんですが、本当に多くの方にご利用いただいていて。
そうですね、お葬式総額で198,000円とかですね、298,000円で本当にこう、一通りのお葬式をですね、サービスと金額を事前にしっかりと明示したうえで提供しているんですが。

武田徹:うん。

篠原憲文: そうですね、本当に多くの方に受け入れていただけているかな、という感じがいたします。

武田徹:つばさ公益社さんは、佐久市のどこの地籍って言ったらいいの?

篠原憲文:はい、佐久市の小田井という場所です。

武田徹:あっ、小田井という所ね。はい。遠くの方では、どのあたりからのお客さんもあります?

篠原憲文: そうですね今月はですね、上田ですね。

武田徹:ほう。

篠原憲文: 上田の方を、上田の斎場でお送りするお手伝いさせていただいたり。

武田徹:うん。

篠原憲文: 篠ノ井の方とか。

武田徹:ああ、長野市の。

篠原憲文:お問い合わせをいただくこともあったりですね。

武田徹:ああ、そうなんだ。

篠原憲文:結構広いエリアから問い合わせはいただいてますね。

武田徹:ありがたい事ですよね。

篠原憲文:いや、本当にありがたいことで。はい。

武田徹:さて今回は、今日は「グリーフ」という英語が出てきます。
これ、嘆くということだわな。

篠原憲文: そうですね。今日はグリーフというテーマで、主には死別に伴う悲嘆であったり、嘆き悲しみということについて、一緒にお話ししていきたいな、と思ってまして。
グリーフという言葉よりも、むしろグリーフケアという言葉の方が、よく耳慣れた言葉かもしれないのですけれども、いわゆる大切な人、本当にかけがえのない人を失った時に、身の上にですね、身体的・精神的に変化が起きるんですけれども、こういったグリーフに対して、どういった対処をしていこうかっていうのが、グリーフケアなんですね。

武田徹:うん。

篠原憲文: このグリーフケアっていうのが、非常に最近では多くの方が影響下に置かれるような状況になっているんですが、まだまだですね、知名度の低さというか、少し社会的な啓蒙が必要な時期なんじゃないかなっていうのが、一部で言われてまして。
と、言いますのも、結構ですね、皆さんよくご存じのとおり、今は亡くなる人も増えているし。

武田徹: うん。

篠原憲文: それにですね、今でいくと1日3000人ぐらいの方がこう、亡くなられる時代に入ってきていて、これがだんだんとこう、1日4500人ぐらいの方が亡くなるような、そんな時代に入ると言われているんですが、当然その周囲にいる家族や友人やいろんな人が、死についてショックだとか、影響を受けるわけですよね。
死別の悲しみというのを、よく表している言葉でですね。

武田徹:うん。

篠原憲文:例えば、親が亡くなるっていうことは自分自身にとって、これは過去失うことであって、例えば、配偶者を失うということはこれは生きている自分の現在を失うことで。

武田徹:うん。

篠原憲文:子供を亡くすってことは、こう自分の未来を失うことだ、という言葉があるんですが。少し距離が離れた方が、亡くなるということは、だんだんと受け入れていけることなんですが、これが例えば子供であったり。

武田徹:そうだよな。

篠原憲文:配偶者であったり。

武田徹:うん。

篠原憲文:親もね、例えばもう大往生だと言える位まで生きてくれたなら、やり切ったという思いがあるかもしれないんですが、若いうちに亡くすこともあると思うんですね。
で、なかなかそういうですね、本当に近い方が亡くなると、想像以上にですね、大きな打撃衝撃を受けるんですね。
具体的にグリーフということで、どういったその症状が出るかってのがあるんですが、例えば物忘れが激しくなるという、例えばその、頻繁に鍵を無くしてしまうのだけど、どうしてしまったんだろう自分は、と。
もしくはですね、こう何か言いかけるんだけど、ちょっと忘れてしまったり。

武田徹: うんうん。

篠原憲文:物事にこう、集中ができないとか、何だか最近体がだるいし疲れやすいなぁとか、食欲が湧かないとか。
何かですね、突発的に感情が溢れてしまって、圧倒されてしまうんですね。

武田徹:うーん。

篠原憲文:あと、何かこう記念日ですね、お正月を迎えるときだとか、誕生日だとか、母の日だとか、こういうときにその、深い悲しみに襲われるとかですね。
なんと言ったらいいでしょうか、あれ、どうしちゃったんだろうなぁ自分、とかですね、何かおかしいんじゃないかな、と感じてしまうようなことがあったりして。
で、これがグリーフの影響だったりするんですけれども、やはりそれがまだまだ知られていないと、ああ、どうしちゃったのだろうと不安にね。

武田徹: うん。自分で不安になっちゃうよね、余計にね。

篠原憲文:そうなんですよね。で、やはりこう、亡くなる方が多いと一口に言っても、1人の人の死っていうのは非常に個別的で、深く衝撃を受ける人たちがそれだけの数いるという、単純にこう、数字として増えるわけではなくて、沢山の悲しみはこう、増えているという状況なんですね。

武田徹: うーん。

篠原憲文:と、いいますのも、昔とですね、今がちょっと変わってきたという点もあって、これが特にケアが必要だと言われているんですが、昔でいったなら地域だとかですね、近隣ご近所さんだとか、もしくはお寺だとか、いろんなところで知恵があってですね。

武田徹: うん。

篠原憲文:で、またその地域で暮らすその知恵の中で、徐々にいろんな方の経験だとか支えがある中で、徐々に癒えていく期間みたいなものもある訳なんですが。
その、死ってのはとても、最近プライベート化していて、何かその隣の人の死であっても踏み込めなくなってきているというところとか。

武田徹: うん。

篠原憲文:あと、やはりその、死が隔絶していると最近はよく言うんですけれども。

武田徹: はいはい。

篠原憲文: これは、古くはその、自宅での死というのがあって、そのプロセスの中でこう、死をだんだん受け入れていくとか。

武田徹: そうなんですね。私もねえ、最近ほら初七日とか何日とかやらなくなってきているじゃない。
実はね、あの時に多くの方々が、まだ亡くなった方については、こんなに思っててくれるんだとかいうのが、自分で体験できることによって、そのグリーフ、嘆きというものがね、あるいはそこからいただく言葉であるとか、相手の態度であるとか、そういうものでねえ、少し嘆きが少なくなる。
あれ一つのプロセスとしてあったと思うの。今無いもんなあ。

篠原憲文:そのとおりですね。

武田徹:突然終わっちゃうもんね、葬式で。

篠原憲文: 何かこう、繰り上げでね。

武田徹:そうなんですよ。

篠原憲文:初七日だとか。

武田徹:うん。

篠原憲文:なんでしたら四十九日までいっぺんでしてしまうと、次に家族が顔を会わせるのは、もうお盆までないとか。

武田徹: はい。

篠原憲文: なんていうか、この略式化っていうのも今仰られたように、共感したりいろんな人でその体験を口々に話したり、感情を表出したりっていうこの機会が無くなってきてしまっているっていうことかもしれないんですよね。

武田徹:うん。

篠原憲文: あとやはり、少子化とその都市への人口流出って言われますけれども、子供たちとか兄弟が遠方に暮らしていて、こうねえ、その度々集まれればいいんだけど、そもそも離れているという。

武田徹: そうなんですよ。

篠原憲文: そうすると、ねえ。

武田徹: 嘆きを口に出すことができないんですね。

篠原憲文: 本当ですね。

武田徹: うん。

篠原憲文: よっぽどその親しいご友人だとか、いろいろ近い方がいれば別ですけれども、多くの場合で自分のこの悲しみっていうのを、誰と共有してどう話したらよいか。

武田徹:そうなんです。

篠原憲文: どうしてもねえ、あ、迷惑なんじゃないか、と思って。

武田徹:うん。

篠原憲文: 近い方にもなかなか話しづらいとかね。同じ家の中で暮らしてると、こう、ふとした時にもね、いろんな話ができるんですが。

武田徹:そうなんですよ。だから心理学的に言うとね、悲嘆のプロセスといって、その本当に深く嘆いてしまった方は、ある一定のプロセスがあって、その悲嘆というものをね、嘆き悲しんでることを消失するこういう機会が、うんと大事なんですって。

篠原憲文: そうですね。

武田徹:それを抑えこんじゃうと、なかなかその次のエネルギーが湧いてこないってのがあるからね。

篠原憲文: うん。

武田徹:嘆き悲しむ時は、おもいっきり泣くような状況が上手くできるといいんだけれどもね。

篠原憲文:や、本当にそうですよね。どうしてもそういった感情を共感したり、自分から発する相手がいないというのが、最近の社会問題というんですかねぇ。
にもかかわらず、その死というもの自体はこれからもこう増え続けていく。

武田徹:そういうことですね。

篠原憲文:でですね、ちょっとその、よくある誤解というのがあるんですね。

武田徹:うん。

篠原憲文:というのが、大体死別の悲しみというと、世間的におよそ1年ぐらいってよく言われるんですが、これも実は誤解を少し招きかねないというか。
割りとこう、なんていうんでしょう。普通は、とか、平均っていうのはですね、あまりその、意味をなさないというか、どうしても個別的な。

武田徹:そうです、個人によって違うから。

篠原憲文:そうなんですね。なので確かに1年の中には、これまで宗教儀礼としてですね、お盆に顔合わせるだとか、正月がきたり、また命日がきてとか、色々な場面で確かにですね、仏教の中でも一周忌のこと、小祥忌と小さく微笑む忌だという。
これはつまり、悲しみの言い始めを表しているなんていうんですけれども、確かにですね、一定程度1年ぐらいで感情ってのはこう、だんだん落ち着くものなんですが、実は時間が経ったからといって、必ずしも皆よくなる訳じゃないという、これ割りとよくある誤解で、何となく、自分がおかしいんじゃないかとこう、向きが向いていってしまうことがあるんですね。

武田徹:うんうん。

篠原憲文:なので、それは別におかしいことではない。ということとか、あとはその、泣かないと悲しんでないと周りから言われることもあるんですが。

武田徹:分かりますねえ。

篠原憲文: これもですね、なんといいますかこう、悲しみの前にショックが先に来て。

武田徹: 泣けないというのがあるからね。うん。

篠原憲文:そうなんですよねえ。非常に見た目にね、とても冷静そうに見えて、悲しいんでないんじゃないかと思われてしまうようなところだとかですね、なかなかデリケートなところなんですけれども、一方的に泣いてないから悲しいんじゃない、そうではないということだとか。
あと、亡くなった方をですね、いつまでも忘れられないっていうのは、これ別に適応が進んでいない訳じゃないというか、なんていうんですかねえ、昔の人でよくその、忘れなさいって。

武田徹:うんうんうんうん。

篠原憲文:かける意味も気持ちも凄く良く分かるんですけれども、必ずしも忘れる必要もなくて、受け止めながらだんだんとその、新しい生活を見つけていくということなんですけれども。
究極的なその行き着くところとして、実は最近新しい研究でもですね、乗り越えられるものではないってのが新しい時代での見解なんです。

武田徹: なるほど。

篠原憲文: よく言うところで、そのグリーフとか死別の悲しみってのは、乗り越えたり立ち直ったり。

武田徹: うん。

篠原憲文: 回復したりっていうことがよく言われたんですが、最近はその、実はそれはできないんじゃないか、と言われている。

武田徹:ほう。

篠原憲文: そうではなく、故人との新しい付き合い方とか新しい関係を見つけていこうっていうんですかね。
ですので、究極的な解決という意味では、自分に起こったこの変化をですね、どうやってその、意味とか価値とかを見つけていくかという、ここが新しいその死別との向き合い方と言われてるんですけれども。

武田徹:超高齢化社会で、これからますます1日3000人、それ以上の方が亡くなるような時代。だからどなたにもこれ。

篠原憲文: 起こり得る。

武田徹:ね、襲ってくる問題だよな。

篠原憲文:そうですね。

武田徹: うん。だから皆さんもグリーフ、というようなこういう事、もう一度いろんな言葉の中でグリーフって一体どういうものだと、自分だったらどうなんだろうっていうことを考えてほしいですよね、グリーフケアについてはね。

篠原憲文: そうですね。今現在その渦中の中にある方も、何かちょっと体に異変を感じるとか、ちょっと前と違うなと思ったら、今はね、総合病院もそうだし、色々なところで窓口があって相談もできるので、抱え込まずに相談するといいと思いますね。

武田徹: そういう事でしょうね。はい。なかなかこういうお話しというのはね、ラジオでも放送されていないんでございますが、この番組おくりびとからのメッセージではそういった面でもですね、皆さんに少しでもお役に立てればということでお話しをしていただいております。
つばさ公益、社篠原憲文さん。ありがとうございました

篠原憲文:ありがとうございました。

武田徹:おくりびとからのメッセージ、お送りいたしました。

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