8月1日にお墓参り?

お墓

先日の西日本豪雨で亡くなられた方々にお悔やみ申し上げますとともに、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

さて、今回は豪雨とも関係するトピックスです。

佐久地方では8月1日にお墓参りをする

南佐久地方から小諸にかけ、8月1日にお墓を掃除し、お墓参りをする風習があります。
最近は少なくなりましたが、8月1日は「お墓参りの日」として、休日になる企業もあります。
筆者の父が働く佐久市の会社も、10年ほど前まで、8月1日は休日でした。

今回は、なぜこの独特の風習が佐久地域で生まれたのか探ってみましょう。

大洪水(戌の満水)の被害者供養が由来とされる

寛保2年(1742年)8月1、2日にかけ、近世以降最悪と言われる洪水が起こりました。近畿から東北地方にかけ、台風の影響を受け数日にわたり豪雨が降り続いたと言われています。
いたるところで河川が氾濫し、大洪水を起こし、各地で土砂崩れが発生しました。
多くの死傷者を出し、田畑は壊滅的な被害を受けました。

戌年に起こったことから、この大洪水はのちに「戌の満水」(いぬのまんすい)と呼ばれるようになります。

8月1日のお墓まいりは、この「戌の満水」による犠牲者を供養するために始まったとされています。

千曲川流域での被害

千曲川流域の被害は甚大でした。
現在の佐久穂町、旧八千穂村上畑の集落は一晩のうちに洪水に飲み込まれ、248人が溺死したとされています。
小諸では、鉄砲水が城下を直撃し、584人の命が奪われ、小諸城の三の門もこの時に流されてしまいました。
松代藩では、田畑に甚大な被害を受け、藩の財政を圧迫。その影響は明治期に到るまで続いたと言われます。

千曲川流域の死者は確認できただけで、2800人以上といわれます。

なぜ佐久地方だけその風習が?

「戌の満水」による被害は全国各地に及びます。
ですが、なぜ南佐久地域から小諸にだけお墓参りの風習が残っているのでしょうか?

筆者が調べた限り、その問いに対する答えは見つかりませんでした。(冒頭に書いておきながらすみません。)

ただ、想像するに、村が丸ごと流されてしまったり、大切な人や田畑を失った人々の傷の深さは相当なものであったことでしょう。
また、気象予測の技術が今ほど進んでおらず、治水も十分でなかった時代、人間にはどうすることもできない自然の脅威を改めて思い知ったことでしょう。

以下、筆者の考えですが、人々は失ったものを悼み、また、自然の脅威を忘れないよう、戌の満水の起こった日に、何かしらの行動をしないと、大きく開いた心の空白が埋まらなかったのではないでしょうか。

それが8月1日のお墓参りという風習として270年以上続いているのだと考えます。

江戸時代の洪水というと遠い昔の出来事に思いがちですが、先日の西日本の洪水の例もしかり、いつ何が起こるか分かりません。

江戸時代の辛い出来事に思いを馳せつつ、現在の自分があることに感謝し、お墓参りをしてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

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