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おくりびとからのメッセージ  ~岩崎弥太郎氏の葬列~

SBCラジオ「武田徹のつれづれ散歩道」内で「おくりびとからのメッセージ」レギュラーコーナーを担当。

武田徹: おくりびとからのメッセージ。
いつものように、つばさ公益社代表取締役の篠原憲文さん、おはようございます。

篠原憲文: おはようございます。

武田徹: つばさ公益社さんは色々なお葬儀の形やですね、具体的にお値段も提示してやっておられますが、日本の歴史見たって、色々な葬儀の形があるんでしょう?

篠原憲文: そうなんですね。

武田徹: ええ。

篠原憲文: 今日、皆様にご紹介したいと思いましたのが、明治を代表する経済界の重鎮でありました岩崎弥太郎(いわさきやたろう)さんのお葬式をご紹介したいなと。

武田徹: あぁ、岩崎弥太郎さんというとね、財閥の一番の中心人物だ。
派手な感じでやったんじゃないの?

篠原憲文: そうなんです。仰る通りでして、岩崎弥太郎さんは三菱の財閥を正に一代で築き上げた方でいらして、財閥といえばね、他にも三井の財閥ですとか、他にも歴史的にね、住友の財閥ですとか、両家ともに300年以上歴史がある訳ですけども、三菱というのを初代から正に駆け上がるように作っていった。

武田徹: そうですよ。

篠原憲文: とんでもない方ですよね。

武田徹: 大河ドラマでね、龍馬伝で香川照之さんが、非常に貧しいところから立ち上がっていくからね。

篠原憲文: そうなんです、そうなんです。
岩崎弥太郎さん自身は土佐藩でね、そこで仕える武士としてお生まれになった方ですけれども、いわゆる土佐藩の中でも最下級の。

武田徹: 郷士だったんだよね。

篠原憲文: そうなんです。そこからですね、まさかそんな時代が長寿といえるようなところまでに駆け上がっていった方ですけれども、この方のお葬式というのが、正に日本の歴史上に残るような、まあそれは凄いお葬式をされているんですね。

武田徹: なるほど。

篠原憲文: ちょっと端的にどんなお葬式だったかをご案内しますと。

武田徹: はいはい。

篠原憲文: 明治時代の日本のお葬式と言えば、そのメインになる舞台というのは、葬列だったんですね。

武田徹: ほぉ。

篠原憲文: つまりご自宅からお墓までの。

武田徹: 歩いていくんだ。

篠原憲文: はい、その間の列というのが正にお葬式の1番のメインステージになるところでして。

武田徹: ふーん、

篠原憲文: この葬列でですね、どういった列が組まれているのか、というところを見たり、お悔やみの言葉を述べるために、沿道に並ぶ訳なんですね。

武田徹: あ、そういうものなんだね。

篠原憲文: 例えばですけれども、先頭の方には提灯を持った人たちが歩いたりしますが、そういう人たちっていうのは、あ、これは新宅の人達なのかな、とかですね。
もしくは天蓋と言われるちょっと後ろの方に付く人達がいれば、この人の家が本家にあたるんだなとか。

武田徹: 分かるんだ。

篠原憲文: 大体何を持っているかでですね、その続柄とか関係が分かったり。
で、一番大事なのはやはり象徴的にですね、じゃあ次の三菱財閥、次の岩崎は誰が継いでいくんだと。

武田徹: それも葬列の時に分かっちゃう訳?

篠原憲文: それで分かるんですね。

武田徹: ほぉ。

篠原憲文: 当時で言えばやはり位牌を誰が持っているのかと。

武田徹: 重要な、あれだね。

篠原憲文: 政治的な場でもある訳ですね。

武田徹: うーん。

篠原憲文: で、この三菱財閥を築いた岩崎弥太郎さんのお葬式、その葬列というのが、その列がですね、数千人によって作られた葬列で。

武田徹: 正に葬列だね(笑)

篠原憲文: 正に葬列ですよね(笑)
千人からの列というと、何キロにも渡って伸びるような、そんな列だったそうなんです。

武田徹: はぁー。

篠原憲文: 例えば現在でも大きいお葬式になると、お花が出たりして、名札が立ったりしますが、あの供物になる花だとか、造花になるようなものだとか色々なそういったものを持った方も何百人と歩くわけです。
で、やはりですね、葬儀に沢山の人が来てくれるというのは、いわゆる力の象徴でもあるし、尊い人だという証明にもなるということで、実にですね、現代にもありますけども、いろんなものが振る舞われるんですね。

武田徹: うん。

篠原憲文: ええ例えば、現在でも北関東の方に行きますと、出棺の時に小銭やお金を撒くような文化があったりします。

武田徹: 今もやってんの?

篠原憲文: 今もはい。形だけ残っていたり。

武田徹: ほぉー。

篠原憲文: するんですけども、やはりこの葬列でもそういった花篭に入れた小銭というか、そういうものを撒いたりですね、それで沿道の人が拾ったりするわけですね。
それから非常に大盤振る舞いがあったことでも知られてまして、実にですね、6万人分のお菓子を配ったという記録が。

武田徹: 6万人

篠原憲文: 6万人分のお菓子ですね。

武田徹: 球場へ来るお客さんの倍ぐらいじゃない。凄いねぇ。

篠原憲文: いやぁもう、ですからとんでもない列とですね、配られるお菓子と、沿道の人っていうのが想像できる訳ですよね。
正に明治時代、18年という時代に、岩崎弥太郎さんは亡くなられて。

武田徹: うん

篠原憲文: 御年50歳だったと。

武田徹: 50歳!?若かったんだねぇ。

篠原憲文: 若いですね。

武田徹: うん。

篠原憲文: ちなみに江戸時代の平均寿命というのが、大体40歳前後で、明治時代初期ですと45歳ぐらいっていわれてますから。
で、この平均寿命っていうのは、子供の死亡率が高い。

武田徹: そうなの。赤子の死が多いから。
実際にはもっとね、70ぐらいまで生きる方も結構いるんだよね。

篠原憲文: 6、70というのが普通だったと思うんですよ。

武田徹: そうでしょうなぁ。

篠原憲文: ですから非常に、太く短くといった人生だったようなんですが。
その最後のですね、いわゆる総決算としてのお葬式としては、斯くも盛大に行われて、振る舞われたのはお菓子だけでなくて、日本料理や西洋料理をですね、いわゆる身分の違いだとかに関わらず振る舞ったと。
お食事を振る舞った数もですね、実はこれちょっと新聞社によって数が違うんですけども。

武田徹: うん。

篠原憲文: 東京日日新聞による発表ですと、料理は立食の形式で6人分用意されたと。

武田徹: はっはっはっ(笑)

篠原憲文: 6人分というのも、とんでもない話ですけれども(笑)
ちなみに東京横浜新聞によると、日本料理は3万人分でね、外国人の会葬者用に上野の精養軒というところで、洋食を300人分用意したという記録があったりするんですが。

武田徹: ほう。ふーん。

篠原憲文: このときのお葬式予算というのも、実は歴史の史実で残っているんですが。

武田徹: うん。

篠原憲文: 岩崎弥太郎さんの葬式の予算はですね、現在の貨幣価値に換算すると10億円ほど掛かったと。

武田徹: そのぐらいその葬式にお金をかけるだけの価値があったんかね?

篠原憲文: 実にですね、なんて言ったらいいでしょうか。
三菱財閥はやはり海運というところ、海のね、輸送というとこで大きくなっていったようなんですけども、いわゆる抵抗勢力では無いんですけど、あまりも目立ちすぎた存在で、その先、行く末もですね、色々なものが予想される、困難な道もあるだろうという中で、このお葬式というのはですね、おそらくただ単純に弔うということ以外の側面というか。

武田徹: うん。

篠原憲文: 岩崎家として、また三菱の財閥として、より力強く進んでいくんだというこの、なんでしょうか。

武田徹: 決意の表明か。

篠原憲文: 正にですね、そういった権威の発揚といったような、そういった効果も大いにあったということですね。

武田徹: ふーん。

篠原憲文: あの、当時は渋沢栄一さん。

武田徹: はいはい。

篠原憲文: こう、急先鋒といいますか、まあ反三菱という形でいろんな活動をされた方、経済の重鎮ですけれども、こういった方たちも弔いの場にはちゃんと訪れてですね。

武田徹: まぁ、そのあたりはね。

篠原憲文: 色々、仲を違えた人たちもお葬式の場では、一緒の同じ席に着いたと言われてるんですが、そういったものをとって、皆ね同じ船に乗って先へ進んでいこうみたいな、そんな意味もあったんじゃないかなと思いますね。

武田徹: なるほど。
いやぁ、今考えてみますと、三菱財閥のようなお葬儀というのは、商売をやっていらっしゃる方は案外とね、こういう感じで。でもこんなにはやらないけれど。

篠原憲文: そうですね。

武田徹: それに比べると、今のお葬式は非常に簡素化しているという感じもありますね。

篠原憲文: そうですね。
実に色々な選択肢がとれる時代になったなぁというのは思いますよね。

武田徹: 思いますよね。いやぁでもこれ凄いね。10億円だから。

篠原憲文: 10億円を掛けるお葬式という。

武田徹: いやあ、驚きましたね。
大体ズルズル行進するというのは、もう戦後ってそんなにはないけれども、「野菊の墓」が映画化された時はまだ、村々を歩いていくというのは、映画に出てましたけどね。

篠原憲文: そうですね。江戸時代の参勤交代の頃もそうですし、明治の初期もそうなんですが、その行列を作るというのがいろんな意味でですね、公衆に知らせるという意味では機能を持っていたと。
これが中江兆民(なかえちょうみん)さんがね、日本で始めて告別式を。

武田徹: あ、やったんだ。へぇー。

篠原憲文: これが1901年のことですから、明治後半、まぁ大正、昭和となっていくに連れて告別式という形態に、現在の形に段々と変わってくるんですけども。

武田徹: そういうことか。

篠原憲文: まあ葬列はね、長野県では比較的昭和になってからもまだ見られたようですね。

武田徹: そうみたいだね。

篠原憲文: 武田先生は行列組んだり歩いたことは…。

武田徹: 知らないねえ、それはさすがにないですね。
土葬は私は体験あるけどもね。

篠原憲文: ああ、仰っていましたよね。

武田徹: 葬列は知りませんねぇ。
なるほどね。という訳で、三菱財閥の岩崎弥太郎さん、50歳という若さですけれども、凄い葬列をおやりになったというお話し、ビックリいたしました。
ありがとうございました。

篠原憲文: ありがとうございました。

武田徹: おくりびとからのメッセージをお送りしました。

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