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おくりびとからのメッセージ  「戌の満水」

武田徹:篠原さんは今、佐久平におられるんですよね?

篠原憲文:そうですね。住んでますし、仕事もそちらで。

武田徹:先週の土曜日、これから台風19号が日本に上陸するという報道が度々続いたんですが、かなり雨降りましたか?

篠原憲文:いやぁ、凄かったですよ。

武田徹:やっぱりなぁ。

篠原憲文:雨も凄かったですが、驚いたのは雨が降る少し前に、けたたましく携帯電話が鳴るんです。Jアラートでしたか。

武田徹:そうですね。

篠原憲文:佐久では雨が降り始めた午後3時ぐらいから、内山地域で早く非難を始めて下さいというような警報が出ました。

武田徹:先週の土曜日の午後3時にはもうそんなことがあったんですか。

篠原憲文:そうなんです。なので雨脚もそこまでないけれども、危ないかと思いました。結構何度も鳴るので、実際に雨が降ってくる前の明るい時間に身構えることができました。

武田徹:そういう意味では、事前に災害を知らせるという機能はしていたんでしょうね。

篠原憲文:そうですね。そして驚いたのは、携帯電話を仕事柄マナーモードにしてるのですが、 仕事中でも無関係に鳴るんです。来場の皆様の携帯も一斉に鳴りましたが。

武田徹:(笑)

篠原憲文:何事だ、となりました(笑)そういう連絡が早めに入るというのは、素晴らしいなぁと実感しました。

武田徹:でも今回は、19号が上陸する前から最大級の警戒が必要だと言っていて、その通りになってしまいましたな。

篠原憲文:本当ですね。正直その時を迎えるまで半信半疑でした。

武田徹: はい。

篠原憲文: 長野県の神話というか、守られてるという気持ちがあったので。自分自身も生まれてこの方岡山で大きい雨が無かったので本当に驚きました。

私の母親が千曲川の近くに住んでいたので、危ないから自宅に呼んで一緒に過ごしたのですが、実際降り始めてから様々な情報が入ってくる中で、一緒にいるのは大事だなぁと感じました。

武田徹:3時にはそういう緊急のJアラートがきましたが、その後もずっと降り続いていました?

篠原憲文:そうですね、午後9時~10時ぐらいまでずっと降り続いていました。

武田徹:それも尋常な雨ではない。

篠原憲文:そうですね、音が普通ではないな、という感じです。

武田徹:そういう地域の降った雨は、全部千曲川に流れて下流はああいう状況になっちゃう。今回振り返ってみると、なるほどなぁと思います。

篠原憲文:その日の夜、NHKのニュース報道や他の民放も見ていましたが、速報性という意味ではTwitterもよく見ていて。

武田徹:はい。

篠原憲文:全国的なニュースとか、SBCさんでも長野や佐久のニュースを早い時間からやっていて情報が知れて有り難かったのですが、どこの地区だとかいう細かい情報が。

武田徹:そうか。

篠原憲文:ネットでは、佐久の中でも特に被害のあった内山の地域とか佐久穂町とかの近くに住んでいらっしゃる方が発信してくれる情報があって、そういった情報に触れて恐怖を感じ、事前に色々と動けたのはよかったと思います。

武田徹:それをいかに避難に生かすかということなんでしょうね。

篠原憲文:そうですね。今回この経験をして、頭を過る言葉があったのですが。

武田徹:なんですか?

篠原憲文:「戌の満水」

武田徹:江戸時代の大洪水ですね。

篠原憲文:1742年に、この信州に非常に激烈な台風がきて。

武田徹:そうです。

篠原憲文:長野市内や小布施の方にも石碑などで当時の状況を伝えるものが残っていますが。

武田徹:柱が立ってて、 戌の満水の時は水がここまできたと。本当に凄い高い所まできたんだよね。

篠原憲文:そのようですね。今回もTwitterなどで、戌の満水を思いだそうという様な言葉があって。

武田徹:なるほど

篠原憲文:実際にどの高さまできたのかを調べたら、10m以上、11m程水がきたらしいです。小布施の方にあるそうですが。

武田徹:そうなんですよ。今回はJRの車両が水に浸かりましたが、あそこは10mくらいの洪水がくる所とされているんだから、それは戌の満水の時を参考にしてんじゃないかなぁ。

篠原憲文:おそらくそうでしょうね。実際に県内何カ所かに当時の水位を示す水表があるそうですが、実に恐ろしい災害でした。現在佐久地域や小諸ではその供養が8月1日に行われています。

武田徹:戌の満水の?

篠原憲文:そうですね。

武田徹:要するに、次の世代にそれを繋げようという意味合いもあるんだね。

篠原憲文:その通りですね。江戸の1740年代に起きた洪水被害で、広い所では集落ごと流されてしまい、亡くなった方も3千人を超えるような当時の恐ろしさを伝える記念碑もできましたし。

武田徹:はい。

篠原憲文:習慣として200年以上、洪水被害に遭った方の供養という意味で、8月1日に供養が行われていまして。

武田徹:篠原さんは小さい頃からそういう話を聞いています?

篠原憲文: 洪水被害があったと聞いておりますね。実際その弔いにも色濃く反映してるところがありまして、佐久や小諸の地域は位牌を分ける習慣があるのですが。

武田徹:ほぉ。

篠原憲文:これはお寺様からお伺いした話ですが、いわゆる分家、本家で親が亡くなった際に、長男二男含め皆が位牌を分けて貰っていくのです。

武田徹:うーん。

篠原憲文:全国的に見ても結構珍しい文化ですが、理由としては、本家などは大体少し高台にあるそうで。

武田徹:立地条件が比較的良い場所ですね。

篠原憲文: 大きい被害があった中で、川の流域近くの家などが流されてしまうと、一緒にご先祖様も流されてしまうようなことがありまして。

武田徹:そういうことか。

篠原憲文:保険をかける意味で現在でも位牌を分けているのですが、これも辿っていくと洪水被害の教訓として行われているということで。

武田徹:なるほどね。

篠原憲文:日本の歴史と治水というのは、色々な所で資料が出てきていて、国作りとは治水であるというような。

武田徹:水を制する者は国を制するってよく言いますよね。

篠原憲文:そうですね。今回の洪水があって調べてみましたが、世界的にも例えば文明の起こり、世界四代文明、いずれも川の流域から来ていますが、雨が降れば洪水があったり、水かさが増したり、そういった中人類の治水との戦いの歴史でもあったと。

日本は山岳地帯で非常に急な斜面で、川も非常に速い勢いで流れてくるので、治水の対策が世界的に見ても難しいと言われてるエリアだそうですが、日本の歴史を辿っていくと、弥生の時代には既に治水の工事が様々行われていまして。

武田徹:うーん。

篠原憲文:有名なのは飛鳥時代に大阪の方で淀川とか大和川といって大きい流域の川があるのですが、仁徳天皇という有名な方が。

武田徹:有名だね、仁徳天皇陵古墳。

篠原憲文:はい。鍵穴型のお墓が有名ですが、実は仁徳天皇は治水に力を入れたという歴史がありまして。

武田徹:なるほどねぇ。

篠原憲文: 仁徳天皇を称える意味で、亡くなった後にあれだけ大きなお墓を築かれて、且つお堀がありますが。

武田徹:はい。

篠原憲文:あれは当時の治水工事の土木技術の結晶で、 治水も兼ねたお墓なんです。

武田徹:なるほどね。

篠原憲文:他にも様々な河川の改修。

武田徹:そうなんですよ。戦国時代の武田信玄の信玄堤は、未だに機能しているんだってね。

篠原憲文:今回の雨の時も、1500年代よりもっと前でしょうか、当時の治水工事が現代人を守っていると感じました。

武田徹:誠に治水というのは、昔も今も大事だということです。

篠原憲文:そうですね。今回は本当に教訓をいただいたというか、実体験として辛い体験ではありましたけれども、気をつけていけたらと思います。

武田徹:今回の災害を教訓にして次に活かすということが非常に大事ですよね。篠原さんのお話でした。

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