武田
早速、お便り届いています。松本市の福澤みな子さんです。
篠原
ありがとうございます。
武田
「武田さん、篠原先生、おはようございます。今朝も冷えましたよね。朝早くから放送お疲れ様です。今年はつれづれ散歩道の30周年記念パーティーで、武田さんはじめパーソナリティーの先生方にお会いしてお話しを聞くことができました。本当に良い一年となりました。特に篠原先生に是非お会いしたいという願いが叶って、本当に嬉しく思いました。」
篠原
ありがとうございます。
武田
「来年も放送楽しみにしております。お体にお気をつけて、少し早いですが、良いお年をお迎え下さい。」福澤さんも、良いお年をお迎えください。
篠原
よく覚えております。ありがとうございます。
武田
篠原さんにお会いできてよかったそうですよ。
篠原
そう言ってもらえると、とても有り難いですね。
武田
皆さんラジオを聴きながら、一体、篠原さんとはどういう人であろうかと…恰幅のいい50代ではないかと思ってるんじゃないでしょうか?(笑)
篠原
36歳です。
武田
お若いでございますね!さぁ、今日はどんなテーマでしょうか?
篠原
今日は「命とは時間」というお話しをしていきたいと思います。先日、佐久市の小学校で3~4年生を対象に、命についてお伝えする講座を行いまして。
武田
なるほど。何人ぐらいいました?
篠原
25人ぐらいです。3回授業があったので、それぞれ別の子が授業を受けました。
武田
なるほど。
篠原
小学校の3~4年生ですから、命に対して非常に興味、関心を持っていましたね。身近なところで触れる死と言えば、やはり虫などだと思いますが。
武田
そうだよね。
篠原
人の死について考えを聞いてみたり、色々な考え方を伝えたりしてきました。
武田
おお。
篠原
哲学的、宗教的、角度によって非常に見え方が違うのが命だと思うのですが、生物学的に見る命について、小学生向けに「ゾウの時間・ネズミの時間」というお話を。
武田
そういう本ありましたね。
篠原
生物学的に見ると、心臓は15億回脈動すると止まるという考え方がありますが、例えば象の心拍は非常にゆっくりですよね。
武田
はいはい。
篠原
ですので、個体によっては100年超えて生きることもあるそうです。それに対して、ネズミの心拍は。
武田
早いですよね。
篠原
なので、ネズミの寿命は、2年くらいと言われています。では、人間の心拍数が20億回になるのは、大体何歳頃かということですが…。
武田
どのぐらいです?
篠原
およそ、50歳前後だそうです。
武田
人間は結構長生きしてるね。
篠原
調べたところ、縄文時代の日本人の平均寿命は16歳で、赤ん坊が亡くなることが多い。
武田
圧倒的に多いでしょうね。幼児、出産の死亡は。
篠原
長く生きるのが難しい時代だったということですよね。一般的な平均寿命は30歳前後ではないかと言われていて、江戸時代では大体50歳前後だったそうです。
明治時代以降、昭和の時代は特に急激に寿命が伸びていくのですが、江戸の頃に50歳前後だったと考えると、本来の人間の寿命はそのぐらいなのかもなぁという感じもするのですが。
やはり象が感じる時間、ネズミが感じる時間というのは、象は100歳まで生きてネズミは2年かもしれないですが、時間の軸としては体感的に同じ時間を生きているのではないかとも言われていて。
武田
はい。
篠原
小学生に年齢を聞くと大体10歳程だったのですが、平均寿命について聞いてみたところ、結構皆知っていたんですね。
武田
知ってたんだね。
篠原
80歳くらいなんですが、その考えでいくと、小学生にとっては残り70年間もの時間があります。しかし、明日何があるか分からない時間を生きているというお話をしました。あとは、可処分時間についての話。
武田
自由に使える時間のことだね。
篠原
そうです。生きていくには、お風呂に入ったり、歯を磨いたり、食事をしたり、人として生活する上で必要な時間があります。1日の可処分時間はおおよそ8~10時間だそうで、その考えでいくと、小学3~4年生の子の70年という時間も、実際行動をしている時間というのは、20数年くらいということになります。
そう考えると、自分が使える時間は限られているのが分かり、時間の使い道=命の使い道という考えが出てくると思います。
武田
なるほど。
篠原
そうして何かしら目的を持って生きることは、何歳であっても重要だと思いますので、丁寧に説明させていただきました。今の小学生たちは、命について色々な知識や解釈を持っているんだなぁと、感心しました。
武田
そうですね。
篠原
他には、ご家族の死に接したことがあるか質問して、7~8割の子たちが手を挙げたんです。驚きましたね。
武田
ほぉ。
篠原
想像以上に、家族の死に子供たちが接するような時代になってきたんだなぁと感じました。
武田
なるほど。お爺ちゃんやお婆ちゃんですかね。
篠原
そうですね。大体がお爺ちゃん、お婆ちゃん、叔父さん、叔母さんの死についてだと思います。死に接したことがあるということで、命はどこに行くか聞くと、お空の上や天国へ行ったのではないかと言いました。実は、日本人がそう思い始めたのは、近代になってからなんです。
武田
うん。
篠原
元々、日本人にとって死の世界は「根の国」と言って、古事記や日本書紀、600年~700年代の本の中で、命の行き先として描かれているのですが、これは空の上とは真逆の、地下世界のことを指していると言われています。
武田
そうですね。
篠原
長らく日本人にとって死というのは、疫病、飢饉で腐敗していく様子に触れながらの死でしたから、恐れの対象だったんです。
武田
イザナギイザナミの話では、自分の奥さんが黄泉の国へ行って、会いに行ったら蛆が湧いていて、逃げてきたという話があります。
篠原
まさにそれが、死への恐れですね。
武田
はい。
篠原
昔は土葬するのが自然だったので、その意味で地下の根の国という考えが生まれたようですね。この考えに変化が起きるのは、仏教が入ってきてからです。
武田
へぇ。
篠原
仏教の世界で原点になる、天台宗と真言宗が考える命の先というのは、いわゆる六道輪廻と言われるもので。
武田
六の道、六道(りくどう)。ろくどうと言う人もいますけれどもね。
篠原
この六つの世界には、天道という天の世界、人間の生きる人間道という世界、餓鬼道、畜生道という非常に厳しい世界もあります。そこに、修羅の道という修羅道が加わりました。
武田
なるほど、修羅が加わったんだ。
篠原
修羅道も悪い世界といい世界で色々と解釈があって、そこに十戒と言って、四つ世界が加わります。しかし、この輪の中にいると、ずっと苦であると言われていて、解脱と言って、繰り返しの力が抜けている事こそが、本来の道であると言れているようです。
鎌倉仏教の時代になってくると、極楽浄土という考え方が出てきまして、その極楽の世界に行きたいなら善行を積みなさいと。そして、悪行を積み重ねていると地獄の世界に行ってしまうと語られるようになったのですね。
今日(こんにち)の小学生たちの、空の上や天国という考えは、キリスト教の世界です。日本に入ってきたのは1500年代ですね。アニメでも、空に昇っていく描写がありますが、今の子たちはそのような死生観を持っているというのも、発見でした。
武田
しかし、面白いねえ。古代と今では、死生観が大分違うんですね。
篠原
変わりましたよね。子どもたちの持っている常識というのが新鮮でした。
武田
小学生の頃は、一年が長かった感じがするね。
篠原
いやぁ、本当に長かったですよね。
武田
今は凄く短いねえ。
篠原
あっという間ですね。
武田
これも面白い現象ですよね。
篠原
そうですね。年を重ねて段々刺激のない生活になっていく中で、新しいことを学んだり挑戦すると、時間が長く感じます。
武田
そうなんだよね。私がよく聞く話がありまして、小学校~中学校の頃は虫が好きでしょう?
篠原
そうですね
武田
もう少し成長して、花が好きになる。更に20歳前後になると、木が好きになる。
篠原
なるほど。
武田
そして40~50歳になると、石が好きになる。こうやって、永遠に存在するものを歳と共に好きになっていく現象は、面白いですよね。
篠原
確かにそうですね。
武田
しかし、篠原さんはいい話をされましたなぁ。
篠原
どう伝えるか悩みましたが、本当に貴重な機会でした。ありがとうございました。