辞世の句から考察する日本人の死生観

辞世の句

日本人は俳句に親しんでいますので、このような文化があるのでしょう。
最近はあまり聞かないですが、歴史上の有名人は辞世の句を残しています。
例えば、

在原業平(ありわらのなりひら)
 「つひに行く 
 道とはかねて聞きしかど
 昨日今日(きのふけふ)とは
 思はざりしを」

56歳で病に倒れたそう。
「人は太陽と自分の死を直視できない」という言葉がありますが、
なかなかその時になっても
受け入れられないものでしょう。
思はざりしを・・・
いつか死ぬことについて、しっかり心の準備が出来ればいいのですが、なかなかそうもいきませんね。

さらに例をあげますと、

豊臣秀吉
 「つゆとおち
 つゆと消へにし我が身かな
 なにはのことは
 夢のまた夢」

人生は夢の中で夢を見ているようだった。と。
一農民から這い上がって天下をとった大偉人・大英雄でさえ、人生の最後に対してしっかりした現実味を持って対処する感じでなく、夢という表現をしたということに、死というものの未知さを感じます。
夢だとしたら波乱万丈の最高の夢物語だったかもしれません。今でも無数のドラマとして描かれています。

西郷隆盛
 「ふたつなき
 道にこの身を捨小舟(すてこぶね)
 波たたばとて
 風吹かばとて」

生きざまって感じる辞世の句ではないでしょうか。
やはり辞世の句には、人格が出るものです。

自分の人生の集大成というと大げさで、筆も走らなくなりますが、
気軽に目の前のことや感じたままに書くだけでも心が整理されるかもしれません。

辞世の句を残す。と考えると大仰にお感じになるかと思いますが、エッセイを残す気持ちでぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか。

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