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おくりびとからのメッセージ「生死について」

武田徹:本日はどのようなお話になりますかね?

篠原憲文:本日は「生死」についてお話したいと思っていまして、様々な角度から命について捉えてみたいと思います。まずご紹介したいのが、人類の夢だった、新しい意味での命といいますか、最近ニュースを賑わせている新しいテクノロジーで、ロボット、人工知能、AIというのが注目を集めておりますが。

武田徹:人工知能と碁の対決をしただとか色々あったよね。

篠原憲文:そうなんですよ。ロボットと言えば、昔はaiboというペット型のロボットだとか二足歩行が出来るロボットがありましたが、今ではソフトバンクからPepperという接客を人間に代わってすることができるロボットが一般向けにも販売が始まったりして、非常に注目を集める技術です。このロボットに感情を見出したり命を感じて、ペットに近い存在になってきておりますが、そんな中で、今後ロボットというのはより人に近づくと言われていまして、先程武田先生も仰っておりましたが、3月のニュースで韓国のプロの囲碁棋士の方がコンピューターと囲碁で対決をされて、囲碁というのは局面が沢山あって何通りもの考えがあるのでしばらく人間には勝てないと言われていたのですが、Googleが開発したアルファ碁という人工知能が、プロ棋士と5戦して4勝1敗ということで、人工知能が人の知能を超え始めたんですね。実は最近この界隈のニュースが非常に様々ありまして、例えばIBMという会社のワトソンという、もう10年にもなるのですが、2006年から商用の人工知能ということでサービスを提供していまして、このワトソンというのは百科事典のような趣と言ったら良いですかね、非常にたくさんの知恵を網羅していまして。

武田徹:なるほど。

篠原憲文:例えば医療に特化した形で利用するとか、様々な問いかけに最適解を答えてくれるサービスを提供しておりまして、日本の会社でもワトソンを利用してサービスを提供している会社が多いです。あと、これは今月のニュースでマイクロソフトという会社が、一般向けにマイクロソフトアメリカでTayというチャットロボットを発表したのですが。

武田徹:これはどういうものなんですか?

篠原憲文:人間と会話をするロボットです。そのTayというロボットはちょっとした問題が起きてニュースになったのですが、日本にも、りんなというチャットロボットがありまして、女子高生という設定がされていて、話しかけると色々な返答が返ってきて会話が成り立つという趣なのですが。

武田徹:そうか、Tayは差別用語だったりひどいことを言ったって話だったよな。

篠原憲文:そうなんです。少し偏った知識を入れることでこういう問題も起きて、人工知能というのはまだ難しいよね、というのが最近ニュースになったんですね。これらを少し整理してみますと、人類の夢といいますか、ある意味で不老不死の一つの形だと昔は考えられていたんですね。古くからいけば百数十年前にホルモンという物質が発見されて、これで人は歳を取らないという文脈で不老不死が語られたり、近年もナノテクノロジー、IPS細胞だとか、歳をとっていった細胞に対して新しく蘇らせることができるのではないかとか、冷凍技術、クローン技術といった人類の夢の一つの中に知識などの一生涯での保存、人類の英知の保存というのがあると思うのですが。歴史の古い、例えばソニーのaiboでいきますと、パーツなどが手に入らなくなって寿命を迎えまして、aiboを所有していた方々向けにaiboのお葬式イベントを。

武田徹:やってるの?

篠原憲文:実は結構活発に行われていまして、千葉で行われたaiboのお葬式というのが非常に大きく取り上げられたんですね。

武田徹:なるほど。

篠原憲文:命というのは非常に多様な受け止め方をされているということですし、例えば手仕事の道具で針供養なんかもそうですし、物に対して命や感情や感謝というところでそういう供養をしたりすることもありますよね。で、本日は死、もしくは生きるというテーマで話すにあたって、作家の養老孟司さんという方が「死の壁」という本を書かれているのですが、この本の中の引用に興味深い一節がありまして。

武田徹:ほぉ。

篠原憲文:”生死の境目というのがどこかにきちんとあると思われているかもしれません。そして医者ならばそれが分かるはずだと思われるかもしれません。しかしこの定義が非常に難しいのです。というのも、生きているという状態の定義ができないとこの境目も定義できません。嘘のように思われるかも知れませんが、その定義は実はきちんとできていない”と書かれています。生き死にというのは、養老先生に言わせると医者にとっても実は境目がはっきりとしていない。

武田徹:そうだと思うよ。

篠原憲文:どうしても社会制度上は、どういう形にせよ一定の切れ目というのが求められて、近代私たちが生きている中においてはお医者さんにそれを診断する権限がありますから、死亡診断書のところに死亡時刻ということで一定のここからここまでが生きている時間で、ここから先は亡くなりましたということを決めるわけですよね。

武田徹:うーん。

篠原憲文:実はこの境目問題というのは、非常に人類の歴史と密接に繋がっているところでして、その中で例えば、今日的な通夜というものも、起き上がってくれるのではないかと生きているかのように仕えたり付き添ったりするわけですが、これもある意味ではそういった想いからですよね。医療技術が発展してくる前というのは、死を主に宗教や哲学や神学が伝統的に取り扱っていて、ここからここまでが生きていて、ここから亡くなったという定義は、そういった宗教などが取り決めていたんですね。現代でいきますと、死生学や法学、法医学、生物学などが死を定義付けているのですけれども。歴史や文化、もしくは宗教によって死の瞬間というのは認識が違って、私たち日本人の認識とヨーロッパの認識も違うし、アジアやアフリカも認識が違うんですね。例えばある国に行くと、息が止まったら死だと言うんですよね。伝統的にもそれは何となく分かりますよね、命と息というのは強く結び付けられていますから。日本でいけばそこからまだまだ蘇生する方法が。

武田徹:あるからね。

篠原憲文:そういった中で少しヨーロッパの歴史を紐解いていきますと、こういう小説があるんですね。1844年に、日本人は聞き覚えのある方も多いと思うのですが、エドガー・アラン・ポーさんという方が、「早すぎた埋葬」という小説を残されているんですね。で、1844年ということなのですが、実はエドガー・アラン・ポーさんが生きていたこの時代というのは、その前の時代にペストやコレラというのが非常に流行っていまして。

武田徹:イメージとしてはペリーが来る10年前くらいですね。

篠原憲文:そうなんですね。その辺よくご存じで流石だと思います。この時代は見えない病、伝染病という恐怖がありまして、感染を恐れるあまり検診が非常におざなりになるような背景があったんですね。

武田徹:なるほど。

篠原憲文:そういった状況で、そういった民衆の恐怖心に共感するような内容で非常に大ヒットした作品だったと言われているのですが。実はこの1800年から1900年代にかけて。ですから18世紀から19世紀頃なのですが、この時代に大変流行した発明品というのがありまして、安全な棺と言うんですね。セイフティコフィンという言葉でイギリスなどで非常に活発に発明されたようなのですけれども。

武田徹:なるほど。

篠原憲文:この安全な棺というのは、変な話なのですが棺の中でもし自分が目覚めてしまった時に。

武田徹:どうするかと。

篠原憲文:ヨーロッパは伝統的に土葬をしていて、現在も土葬が多いですけれども、もし自分が棺の中で目覚めたときに外に知らせが出せるようになっているんです。

武田徹:そういうことか。

篠原憲文:旗や鐘を使って外界に知らせたり、もしくは新鮮な空気を取り入れることができるようになっていたり。

武田徹:へぇー。

篠原憲文:現代日本でも最後に棺に釘を打つような地域というのがありますよね。

武田徹:はい。

篠原憲文:ヨーロッパも以前はそうだったようですが、この時代の安全な棺には錠前を使って、しかも内側から開くようにしてあって。

武田徹:つまり、亡くなったとされる人も開けられるということですね。なるほど。

篠原憲文:実際1792年に亡くなったフェルディナントブラウンシュバイク公爵という方が、ご自身が特注で作った棺には、光を取れる窓が付いていて、新鮮な空気を取り入れる管があって、錠前を内側からも開けられるようになっていて、鍵を最後にポケットに入れて埋葬したと。まあ起きてきたという記録はないのですが。

武田徹:残念ながら起きなかったんだ。

篠原憲文:はい。この時代は非常にこの安全な棺が発売され開発されてきたのですが、実はこれは昔の話だけじゃなくて、1995年にも新たな特許として出されているんですね。

武田徹:特許で。ふーん。

篠原憲文:ファブリシオ・カセッリさんというイタリアの方が、現代版の安全な棺ということで特許を取得されていて、これは棺の中でもし自分が目覚めたとき用に非常用の通信機器を備えて、外に連絡ができるようになっている。

武田徹:うん。

篠原憲文:そして中には照明がついていて、さらに呼吸器が用意されて息もでき、心臓のモニターを外に伝えられる機能もついているということで。日本では火葬が進んでいますから、安全な棺と言われてなんだろうと思いますが。

武田徹:燃やされたら終わりだもんな。

篠原憲文:そうなんですよね。ヨーロッパでは復活祭というような儀式をしてきた歴史背景がありますので、土葬を中心とした文化の中では、こういった安全な棺というものも未だに需要があるということで。

武田徹:ということは、要するに死の定義を巡って古今東西それぞれ違った考え方があるということだよね。

篠原憲文:その通りです。日本で現在私たちが生活している中においての死というのは、あくまで私達の考える死であって、やはり世界、地域、文化、宗教の違いで実に多様な受け止め方をされるのが死というものであり、また生きているという状態ですよね。

武田徹:難しいねぇ、死ぬときというのを考えてみるのは。

篠原憲文:そうですね。養老先生が仰ったように、生きているという状態も実はよく分かっていないというのは、なるほどそうかという感じはしました。

武田徹:はい。今日は非常に多くの深い話をしていただきました。ありがとうございました。

篠原憲文:ありがとうございました。

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