2014.02.15「献体と臓器移植について」

武田徹のつれづれ散歩道「おくりびとからのメッセージ」

武田
武田

凄い大雪でしたが、冬は、特にこんな大雪だとお年寄りが多くお亡くなりになるんじゃないですか?

篠原
篠原

そうですね。長野県内では、やはり夏と比べて冬の方が多いと感じます。特に、2月は多い期間になりますね。

武田
武田

皆さん、体調管理にお気を付け下さいね。さて、今日はどんな話になりますか?

篠原
篠原

前回は、相続の法律の改正があり、来年の2015年から新しい法律になるというお話をさせていただきました。また時期をみてその内容について触れていければと思いますが。

武田
武田

知ってると知らないんじゃ、えらい違いだもんね。

篠原
篠原

「知らなくて」では済まない場面もあると思いますので。

で、本日は中々聞けないお話を、と思いまして「献体と臓器移植」についてお話したいと思います。

武田
武田

体を提供して、解剖などで利用することですね。

篠原
篠原

言葉をご存じの方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。実は、この献体と臓器移植についての法律も、ここ数年で変わってきていまして。まぁ、なるほどね、という感じで聞いてもらえたらと思います。

武田
武田

よろしくお願いします。

篠原
篠原

まず、献体について。学生さんたちの医療、歯学の発展に資する為にということで、学校に対して自分の体を提供する意思表示をします。生前中に自分で署名を取り交わすんですね。そして、自分が亡くなったときに、家族に同意をもらって学校へ、というのが献体ですが。

武田
武田

なるほど。

篠原
篠原

では、献体を希望した方の遺族は、どのようなおくりかたをしているのか、あまり知られていないですよね。

武田
武田

分からないとこだね。

篠原
篠原

献体を希望される方で、「自分なんかどうなっても構わないんだ」という考えをお持ちの方が割といまして。献体するからお葬式をせず、学生さんの将来のために身体を使ってもらえばいいんだという。

現実的には、遺族のもとに献体した方が戻ってくるのは、1~3年後になります。

武田
武田

そんなに掛かるの?

篠原
篠原

実は、亡くなってすぐ学校などに行くのではなく、多く場合は通常通り通夜や告別式をして、出棺のタイミングで学校関係の車が迎えに来るようになっておりまして。

武田
武田

そうなっているんですね。

篠原
篠原

私、長野県内で事業を始めて8年経ちますが、未だに献体をされた方は見たことがないです。研修中に九州にいた頃は、2例ぐらい立ち会わせていただきました。医大等に運ばれて、1~3年して家族の手元に戻ってくるという。

武田
武田

状態は、かなり違った状態になっているのでしょうか?

篠原
篠原

はい。ご遺骨になって戻ってきます。ですので、お墓などの準備は必要なんですが。

ということで、献体ってどんなものなのかって、あまり知られていないと思うんです。全国的に見ると、そういった意思表示をされている方は多くいらっしゃるのですが。

武田
武田

つまり、お葬式はちゃんとできて、出棺の時に病院や学校へ提供されるんですね。

篠原
篠原

そうですね。そこで正常解剖と言って、学生さんたちによって解剖をされるという流れになります。

武田
武田

なるほどねぇ。

篠原
篠原

臓器提供とはちょっと違う訳ですよね。

武田
武田

そうですね。

篠原
篠原

臓器提供は、臓器の悪いところをどなたかから提供を受けるものですよね。実は、この臓器提供について法改正があり、状況がちょっと変わってきています。

武田
武田

ほお。

篠原
篠原

この話をするには、どこで死を迎えるかというお話からしなければいけないのですが。これから触れるお話は、「脳死とは何か」というものなのですが、いきなりそのお話をするのではなく、遠回りしていこうと思います。

先日、武田先生が、古代の人はどういうおくりかたをされていたのかと、ご興味をお持ちでしたが。

武田
武田

えぇ。

篠原
篠原

近代では、死というのが「点」なんですよね。「呼吸が止まる」「心拍が止まる」「瞳孔が開いて光の反射がなくなる」この3つが死の判断をする、点になる訳です。

武田
武田

なるほど。

篠原
篠原

医者がいて、科学も発展している現代と比べて、古代の死というのは、プロセスだったんですよね。起きてこないなぁというところから始まる訳です。

大昔まで遡ってみますと、古事記という書物がありまして、この中で、人の弔い方について記されていて。

武田
武田

書いてあるんだ。

篠原
篠原

どのように弔ったかというところなんですが、「喪屋」というような言い方をするんですが、家族が亡くなると、家の横に掘っ立て小屋のようなものを作りまして。

武田
武田

もや、ですか。なるほど。

篠原
篠原

そこで様々な儀礼を行います。例えば「泣き目」という泣く役目の人がいたり、「霊前にっく」と言って、生きてる人と同じように食事を供える役割があったり。そして、特徴的なところが、歌舞、歌や踊りも供えたという。これが1300年前から行われていて。

武田
武田

現在でも泣き目って、韓国の方とかでやってらっしゃいますよね。

篠原
篠原

こうして喪屋を作って、長くて30日という期間、屋外というか掘っ立て小屋に故人をご安置するという。

武田
武田

遺体が大変な状況になるわな。

篠原
篠原

腐敗していくその過程に触れながら、死を受け入れていくという。古代では、死を受け止めるまでに時間が掛かった訳ですね。こうした一連の流れを「喪がり」と呼びまして。

武田
武田

あ、聞いたことあります。

篠原
篠原

これが現代で言う通夜などの起源だと言われています。そうした時代も去ることながら、古今現代では先程の3つの死の点があった訳です。

武田
武田

呼吸、心拍、そして瞳孔ですな。

篠原
篠原

その3つの点に、2009年から新しく加わったのが「脳死」なんです。つまり、2009年以前は、脳死が法的な死と認められていなかった訳です。

武田
武田

そういうことなんですね。

篠原
篠原

当時、法律的に亡くなったという解釈はなかったので、脳死状態にある人に対して何かしてしまうと、逆に罪に問われるような。

武田
武田

私の学生時代に、北海道の和田寿郎というお医者さんが、脳死の方の心臓移植をして、大問題になったことがありましたね。

篠原
篠原

非常に難しい問題ですよね。

実は、脳死が珍しくない時代になるのはそんなに遠い話ではなくて。先進国の死因の統計データを見ると、全体の1%ぐらいが脳死という状況であると。つまり、100人に1人の割合ですよね。

武田
武田

ほぅ。

篠原
篠原

そして、臓器提供自体が日本国内でできるようになったのが1997年頃(平成9年)でして、まだ20年経ってないんですよね。当時は、臓器提供という言葉はなくて、角膜や腎臓の移植に関する法律になっていたのですが、これが心臓や肺などの移植にも適応されたのが、平成9年で。そして、脳死が死として受け止められ始めたのが2009年頃。

武田
武田

なるほど。

篠原
篠原

つまり、死を巡る環境整備というのは、ここ数十年の中での話なんです。非常に整備が行き届いてないところがある訳ですね。

武田
武田

そうでしょうなぁ。

篠原
篠原

例えば、今一番臓器移植で困っているのが子供さんなんですが、やはり子供の必要とする臓器は子供のものがいいというところがあって、まぁ、難しいですよね。臓器提供を希望する人って高齢の方が多いですし。ミスマッチがある訳です。

武田
武田

そのミスマッチをどうするかってところだよなぁ。

篠原
篠原

その問題について、2009年に盛んに議論されまして。その時に15歳未満の人の体からも移植が出来るように法律が改善されたんですが。

武田
武田

なるほどなぁ。

篠原
篠原

そういったことを「整備された」と言えるのだろうか、というところなのですが。色々な状況下で、極めて難しい話ではあります。世界的な問題として、臓器提供を海外に求めるようになってきている状況で。

武田
武田

そうなんですよ。インドとかに臓器提供者を求めるという、非常に不幸なことも起きてるそうじゃないですか。

篠原
篠原

死を巡る環境として、例えば日本人が海外に臓器を求めるという行為などが、国際的なWHOの指針で禁止の方向に動いているんです。

武田
武田

そういうことなんだな。

篠原
篠原

国内でも、ガイドラインが変わってきたという。

武田
武田

なるほど。脳死と死というものについて。医療では長生きさせたい、だけど臓器は若くて新鮮がいいという、基本的な矛盾をどうするか、ということでしたね。

篠原
篠原

本日は、ちょっと変わったお話をさせていただきました。

武田
武田

皆さん、時にはこういったことも考えてみてはどうでしょう。お話、ありがとうございました!

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