今年は特に寒いので、冬の間に亡くなる方が多いんじゃないですか?
そうですね。寒暖差があるとあまりよろしくないですね。
今日はどのようなお話ですか?
本日は「文豪の死に様」という本の紹介をしようと思いまして。
ほぉ。
この中の、文学者の「樋口一葉」さんと結核というお話を紹介しようと思いまして。
この本は2020年の11月、今から一年半前くらいに出版されたものなのですが、本の帯のタイトルが結構面白くて、「作家は早死にである」と。
そうなの?(笑)
人生が様々あるように、死も様々あると。生物である限り絶対に避けようがないのが死であると。
その通り。
人生最大の苦であるけれど、時には救済になることもある。文学という手段で人生に取り組んだ文豪たちは、果たしてどんな死を迎えたのか。という。
興味深いですな。
この本の中には様々な文豪の方の人生のエピソードと晩年ということでご紹介があるのですが、「太宰治」さんであれば38歳くらい。
自死でございますな。
「芥川龍之介」さんは35歳。歳くらい。
こちらも自死ですね。
同じく自死でいくと「有島武郎」さん。
あぁ。「小さき者へ」という作品が有名ですね。
今回ご紹介する「樋口一葉」さんは、実は24歳という若さで亡くなっておりまして。
あ、そんなに若かったんだ?
五千円札に描かれる樋口一葉さんはもう少しお歳が上に見えるのですが。
ということは、24歳よりも前に「にごりえ」とか「たけくらべ」を書いたってことだよな?
そうですね。樋口一葉さんが亡くなる前、僅か14ヶ月間で、名作のにごりえ、たけくらべ、十三夜などを書かれたそうです。
凄いねぇ。
この方は結核だったのですが、当時は不治の病ということで、「国民病」や「亡国の病」などと言われておりました。
実際に、今から50年ほど前までは結核が死亡原因の第一位だったんですね。2018年厚労省の数字では、毎年一万六千人の方が結核を発症して、年間で二千人ほどの方が亡くなっているということです。
まだそんなに亡くなっているんだね。
この結核というのが、様々な場面で文学作品にも登場しています。
例えば「となりのトトロ」では、お母さんが結核で療養病棟にいました。
そういえばそうでしたね。
後は、太宰治さんの「パンドラの箱」。宮崎駿さんの「風立ちぬ」。安藤百福さんの「まんぷく」でも出てきています。
なるほど。
著名人でも結核で亡くなられた方というのは多くて、幕末の志士「高杉晋作」さん。
そうだそうだ。
新選組の「沖田総司」さん。
血を吐いてましたな。
「正岡子規」さんは34歳、「石川啄木」さんも27歳という若さで亡くなられております。「森鷗外」さんも実は結核で、59歳だったようです。今もコロナ時代という中に生きていますけれども、当時は若くして病で倒れてしまう方が多かったという時代だったようです。
うん。
で、樋口一葉さんは大変ご苦労された方で、お父さん、お兄さんを早くに亡くされて、明治時代といえば家督制度の中ですから、ご自身が長として一家を支えて働いたりしなければならなかったので、針仕事などをしながら食いつないできたようなのですが、近視で近くが見えづらいので、針仕事が大変苦痛であったそうです。
眼鏡もいいものがない時代だからねぇ。
そんな中、ものを書いたり塾に通ったり、大変秀才であったようです。
ある日、友人が文筆業で出版料を受け取っているのを見て、自分だったらできるかな、ということで取り組んでいきます。樋口一葉さんの書いた本は様々あるのですが、お金の苦労という面でにじむ努力の跡がたくさんありまして。
うーん。
そんな中で、奇跡の14ヶ月と言われる、亡くなる三年くらい前から才能の片鱗と言いますか、文学界の創刊号で発表した書籍が非常にヒットしたり、「大つごもり」を発表したり、たくさんの連載を持って売れっ子作家になっていくのですが、出版料などが手元に入るようになってきた瀬戸際で亡くなってしまったという晩年だったと言われています。
あぁ~…。
ご葬儀の席では、公にしてお葬式がしづらかったそうですね。
結核だもんね。言ってみれば、今のコロナと一緒だわな。
そうですね。大変多くの方が悲報に触れて、惜しまれて駆け付けたいということだったのですが、近親者のみで行ったそうで、ご葬儀は菩提寺の築地本願寺で行ったそうです。そうですね。
ふーん。
本当に身内だけの、極小数人で質素に行ったという記録が残っております。
この樋口一葉さんの才能を高く評価していたというのが森鴎外さんなのですが、本名は森林太郎さんということで、非常に木という字が多いですが(笑)
森と林で(笑)
森林太郎さんは陸軍の一等軍医でして、トップに上り詰めた方なのですが、「森林太郎」個人として、遺族に対して騎馬に跨って棺に従う参列をさせてくれないかということで、非常にフォーマルな形で申し込みをするのですが、遺族からは、大変に尊い方で何かあってはいけませんから、ということで断られたという記述があるんです。
なるほどねぇ。
現在のコロナ時代を意識して今回このお話を紹介したのですが。
まぁ、明治時代の中期くらいの話ではあるのですが、振り返ってみると100年くらい前はスペイン風邪が世界で流行していましたよね。
そうですね、スペイン風邪が猖獗を極めていた頃でしたね。
日本はこの頃大正時代だったと思うのですが、本当に世界中の多くの方が悩まれた感染症があったり。結核が流行り始めたのは明治時代から昭和の初期くらいまでずっと悩まされてきた国民病だったということなんですが。
今我々が体験しているコロナ時代というのも、恐らく時間が経つと教科書とかに載って語られる日が来るんだろうなぁと。
必ず収まる日は来るからね。
過去の歴史で見ても、数億人がかかったと言われているスペイン風邪であっても、当時は収束までに3年くらいだと言われていました。
そうでしたね。当時はワクチンとかそういうものは全くないからね。
そんな中で、2年くらいたった頃にはそろそろ収まらないかな..と思っていた状況だったと思いますね。
ウイルスは宿主が死んじゃったら滅びるから、だからオミクロンって毒性が下がって、彼らも生き延びようと頑張っているわけですよ。だから私は、光明が見えていると斯様に思うわけでございますが。
そうですね。全く従来通りとはいかなくても、ちょっと旅行に行ったりだとかできるようになるといいですよね。
できるようになりますよ。
このスペイン風邪ではね、松井園子さんが非常にお世話になった島村抱月という早稲田大学の教授が亡くなって、園子さんも自死したという。こういうことになるわけです。
樋口一葉さんも、24歳よりももっと長生きしたら色々な作品を書いたんでしょうなぁ。
ほんとですね。絶筆となったもので「うらむらさき」という本が最後だったようなのですが。今後の活躍が期待されていただけに、惜しいですね。
皆さんもお気を付けいただいて、健康長寿でいきましょう!
ありがとうございました。