お葬式とは一体どれくらいのお金が掛かるのか、非常に不明瞭なところが多いものでございますが、つばさ公益社さんは経済的といいますか、お手頃なお値段で様々なバリエーションがあるところが、お客さんが多い一つの理由ではないですか?
ありがとうございます。オープンして3ヶ月ぐらいですが、お陰様で本当に多くの方にご利用いただいています。つばさ公益社では、総額198,000円や298,000円で一通りのお葬式を、サービスや金額を事前に明示したうえで提供していますが、多くの方に受け入れていただけていると感じます。
つばさ公益社さんは、佐久市のどこにあるんですか?
佐久市の小田井という場所になります。
小田井ね。遠くから来るお客さんは、どこからお越しになりますか?
今月は上田市からで、上田市の斎場で送らせていただきましたが、他には篠ノ井の方とか。
長野市ですね。
結構広いエリアからお問い合わせを頂いています。
有り難いですね。
本当に、有り難いです。
さて今回は、「グリーフ」という英語が出てきます。嘆くという意味だよな。
本日はグリーフをテーマに、主に死別に伴う悲嘆や嘆き悲しみについてお話したいと思っています。グリーフという言葉よりも、「グリーフケア」という言葉の方が耳慣れた言葉かもしれませんが、いわゆる大切な人、かけがえのない人を失った時に、身体的、精神的な変化が起きるのですが、こういったグリーフの対処法がグリーフケアと呼ばれていますね。
うん。
近年、非常に多くの方がグリーフの影響下に置かれるような状況が多くなっている中で、まだ知名度の低さというか、少し社会的な啓蒙が必要な時期ではないかと一部で言われてまして。といいますのも、皆さんよくご存じの通り、現在亡くなる人も増えているし…。
うん。
それに、今では1日3000人ぐらいの方が亡くなられる時代に入ってきていて、これが段々と1日4500人ぐらいの方が亡くなるような時代に入ると言われていて、当然、亡くなった方の周囲にいる家族や友人などが、ショックだとか、影響を受ける訳ですよね。
そうですよね。
例えば、親が亡くなるっていうことは自分自身にとって、これは過去を失うことであって、例えば配偶者を失うということは生きている自分の現在を失うことで、子供を亡くすことは自分の未来を失うことだ、という言葉があります。少し距離が離れた方が亡くなった場合、段々と受け入れていけるものではあるとおもいますが、身近な方、例えば配偶者や子供が亡くなった場合。
そうですよね。
親としても、大往生だと言える位まで子供が生きてくれたならやり切ったという思いがあるかもしれないですが、若いうちに亡くなってしまうこともあると思います。こういった身近な方が亡くなると、想像以上に大きな衝撃を受けます。
グリーフというのは、具体的にどのような症状が出るのかというと、例えば物忘れが激しくなったりします。
うんうん。
物事に集中ができないとか、体がだるいし疲れやすいとか、食欲が湧かないとか。突発的に悲しい感情が溢れてしまって、圧倒されてしまうんですね。
う~ん。
あと、お正月を迎える時、誕生日、母の日などの記念日に深い悲しみに襲われて、あれ、どうしちゃったんだろうなぁ自分、とか、何かおかしいんじゃないかな、と感じてしまうことがあったり。これがグリーフが与える影響なんですが、知名度が低くて、自分はどうしちゃったんだろうと不安になる方も多いと思います。
自分で不安になっちゃうよね、余計にね。
そうですよね。で、亡くなる方が多いと言っても、1人の人の死は非常に個別的で、深く衝撃を受ける人たちがそれだけの数いるという、単純に数字として増える訳ではなくて、沢山の悲しみが増えている状況です。
うーん。
そういった中で、昔と今で変わってきていることがあって、昔の、地域、近隣、ご近所さん、お寺とか、色々な所でそれぞれ知恵があって、そういった方の経験や支えがある中で、悲しみが徐々に癒えていく期間もあるわけなんですが、最近になって、死がとてもプライベート化していて、近隣の方の死であっても踏み込めなくなってきていますし…。
そうですよね。
あと、死が隔絶していると最近はよく言うのですが…。
はいはい。
昔は自宅でお看取りをし、そのプロセスの中で死を段々受け入れていくような場面があったと思うのですが、そういったことも無くなってきていますね。
最近は、初七日とかもやらなくなってきてるじゃない。法事のときに、集まった多くの方々と、故人様について話し合ったりすることにより、嘆きというものが和らぐ。そういうことが、一つのプロセスとしてあったと思うの。今は無いもんなぁ…。
その通りですね。
お葬式だけ集まって、終わっちゃうもんね。
お葬式で初七日とか、場合によっては49日法要まで行ってしまうと、次に親族が集まる機会がお盆までないとか。
そうですよねぇ。
こういった略式化についても、色々な関わりのあった方と共感したり、体験を口々に話したり、感情を表に出したりする機会が無くなってきている、一つの原因でしょうね。
はい。
あと、少子化と都市への人口流出について、子供や兄弟が遠方に暮らしていて、度々集まれればいいんだけど、それが難しいとか。
そうすると、嘆きを口に出す機会がないですよね。
本当ですね。よっぽど親しいご友人とか、身近な方がいれば別ですが、自分の悲しみというのを、誰と共有すればいいのかというところで。
そうなんですよねぇ。
迷惑になるのでは、と遠慮して口に出せなかったり。身近な方であっても話しづらいとか、ありますよね。
そうですね。心理学的に言うと、悲嘆のプロセスといって、嘆き悲しんでいる状況を消失する機会が、とても大事なんですって。
そうですね。
嘆きを抑えこんじゃうと、次のエネルギーが中々湧いてこないってのがあるからね。嘆き悲しむ時は、思いっきり泣くような状況が、上手くできるといいんだけれどもね。
感情を共感する相手がいないことが、最近の社会問題になってきているといいますか…。にも関わらず、死というものはこれからも増え続けていくわけで。
そういうことですね。
で、よく誤解されることがあるのですが、死別の悲しみというのは、世間的におよそ1年ぐらいと言われているのですが、実は「普通」や「平均」って言う言葉って、意味をなさないというか、個人差というものがありますから…。
もちろん、個人によって違いますよね。
仏教の中で一周忌のことを、「小祥忌」小さく微笑む忌だと言われていますし、確かに、1年程で感情は段々落ち着くものですが、実は、時間が経ったからといって必ずしも全ての方の悲しみが癒えると言う訳ではなくて。
1年経っても悲しいなんて、自分がおかしいんじゃないかと誤解してしまう方もいらっしゃると思いますが、それは別におかしなことではないと。
個人差がありますからね。
あと、泣いていないと、周りから悲しんでいないと言われることもあると思いますが、なんと言いますか、悲しみの前に、ショックが大きくて…。
泣けない場合ってありますからね。
そうなんですよね。冷静そうに見えて、悲しんでいないと周りから思われたり…中々デリケートな話ではありますが、泣いてないから悲しんでいない訳ではないというところや、あと、故人様をいつまでも忘れられないというのは、別に適応が進んでいない訳じゃないというか…なんと言いますか、昔の人はよく、忘れなさいって言うじゃないですか。
ありますね。
そういう言葉を掛けたくなる気持ちも凄く分かりますが、必ずしも忘れる必要があることはなくて、死を受け止めながら、段々と新しい生活を見つけていくことが大切で。
究極的な行き着くところとして、最近の研究で言われているのが、死というのは乗り越えられるものではないと。
なるほど。
グリーフや死別の悲しみというのは、乗り越えたり立ち直ったり、回復したりできることだと言われてきましたが、実は、それは不可能ではないのか、と言われている。
ほぉ。
悲しみを乗り越えるのではなく、故人様との新しい付き合い方や関係を見つけていく、といいますか。つまり、究極的な解決という意味では、自分に起こった変化に対して、意味や価値を見出していく。それが、新しい死との向き合い方と言われていて。
これから超高齢化社会で、1日で3000人、それ以上の方が亡くなるような時代になっていく訳ですから、どなたにも起こりうる問題だよな。
そうですね。
だから皆さんも、「グリーフ」って一体何なのか、自分の立場で考えてみるといいよね。
そうですね。今現在その渦中にある方も、身体に異変を感じるとか、ちょっと前と違うなと思ったら、現在は相談できる窓口もたくさんあるので、一人で抱え込まずに相談するといいと思いますね。
こういったお話しは、中々ラジオでも放送されていないんでございますが、おくりびとからのメッセージでは、そういった面でも、皆さんに少しでもお役に立てればということでお話しをしていただいております。
つばさ公益社の篠原憲文さん。ありがとうございました。