2021.05.15「コロナ禍の在宅医療」

おくりびとからのメッセージ

武田
武田

前回は、亡くなった方を音楽でおおくりするというお話をしましたね。早速、お便りが届いております。松本市の方から。「音で見送るというお話を拝聴させてもらいました。数年前の事なのですが、コールサンダース雷親父という合唱団に入っておりまして、そこの団員の方のお葬式会場で合唱したことを思い出しました。数曲歌いました。ご遺族の皆様がとても喜んでおられました。故人は、再びステージに立ってみんなと合唱することを目標に病と闘っていたのですが、それは叶いませんでした。現在はコロナ禍でサークル活動は休止中。声を出すことは体にいいんですね。そして笑うことは免疫力アップになります。笑いは地球を救う。」と。確かに、コーラスや音楽をやっていた方というのは、音楽葬という形で弔われることが結構ありますよね。

篠原
篠原

いやぁ、本当に歌というのはいいですよね。合唱というのは特に。

武田
武田

篠原さんのところの奏葬式、現在も続けられているんでしょ?

篠原
篠原

おかげさまで、お問い合わせを沢山いただいていて、実際にご利用になった方もいらっしゃいます。こちらで提供しているのはピアノ、チェロ、バイオリン、声楽などの演奏ですが、音楽というのは癒しがありますし、心を一つにする効果があると感じます。

武田
武田

そうですね。しかも、このご時世で仕事がないミュージシャンの方の助けにもなる。これは非常にありがたいことですよね。

篠原
篠原

私の存じている演奏家の方たちも、コロナ禍で中々大変な状況だとお聞きしています。

武田
武田

ニュースで見ましたが、フランスの有名なオペラ歌手が、自転車で配達をやっているくらいですから。で、配達先のお年寄りの施設でオペラを歌っているわけ。テレビでしか見れない大スターが目の前で歌ってくれるなんて、年寄りは大拍手ですよ!

篠原
篠原

本当にそうですね。

武田
武田

さて、今日はどんなお話でしょうか?

篠原
篠原

はい。今日は「コロナ禍の在宅医療」というお話をさせていただきたいと思います。といいますのも、コロナ禍で改めて在宅医療に注目が集まっているという状況がありまして。

武田
武田

ほお。

篠原
篠原

病院で最期を迎えるという状況が、実はこのコロナ禍で一変しておりまして。

武田
武田

確かに、そうですね。

篠原
篠原

現在、病院に立ち入ることさえ困難で、以前であれば付き添ったり、宿泊したり、色々な関係の方がお見舞いに来たりしたものですが、現在は家族が大変な状況であってもそういったことが難しくなりましたよね。

武田
武田

うんうん。

篠原
篠原

先般、曖昧な喪失というものについて紹介をしましたが、現実感のない中で突然失ってしまう体験というのを引き起こしていると思うんですよね。そんな中で、在宅での看護、介護、医療について、最期に家族と過ごすための方法として注目を集めているようですね。

武田
武田

私の小さい頃は在宅で見送るというのがほとんどだったけどね。私のおばあちゃんは在宅で見送りました。長野県の医師会でも、病床がいっぱいという問題があって、数年前から在宅医療の推奨をしておりましたから。これが、コロナ禍で拍車がかかっていると。

篠原
篠原

そうですね。現在の状況だと、最期に立ち会うためには在宅医療しか選択肢がないですから。

武田
武田

ないよね。私だって篠原さんに比べれば死は近いですが、やっぱり自宅で死にたいね。

篠原
篠原

多くの人が、最期の時間を過ごすならお家へ帰りたいとか、思い出の場所に行きたいと考えると思いますが、日常生活の延長線上でのそういった時間というのは、特別なものだと思いますね。そうした中で、今月の22日に「いのちの停車場」という映画が上映されるのですが。

武田
武田

日本の映画ですか?

篠原
篠原

日本の映画で、原作が小説なんですが。

武田
武田

「停車場」っていうのがまた、時代を感じさせるねぇ(笑)

篠原
篠原

その年代に向けた映画になっていて、キャストも吉永小百合さんや西田敏行さんですとか。

武田
武田

そうなんだ!

篠原
篠原

この作品の原作である小説を書かれたのは、お医者さん且つ小説家である南さんという方なのですが、この小説が「感動の問題作」と言われているんです。

武田
武田

なるほど。

篠原
篠原

今回これが映像化されて上映されるというのは、色々な意味があると感じています。といいますのも、この物語の中でいくと、都内の救急の医療に携わっているお医者さんだったのですが、色々あって在宅医療をするように、地方の金沢がメインの舞台なんですけれども。

武田
武田

金沢ですね、うん。

篠原
篠原

そちらで在宅理療をするようになる、というのですが。実は、救命救急というところで医師をしている方と、訪問医療というところで医師をしている方では、死生観が一変していると言われているんですよね。

武田
武田

ほぉ。

篠原
篠原

といいますのも、救命救急というのは「救う」「助ける」医療を提供するというのが主題ですが、在宅での医療というのは、少し距離感というものが変わってきまして、「見送る医療」という場面も出てくるんですよね。

武田
武田

そういう意味で、対極的に違うんだね。

篠原
篠原

まさに、寄り添っていくような医療ということで、その死生観に揺らぎについて、お医者さんである南さんが描かれた作品なんですよね。ちなみに、作中の主人公は62歳のお医者さんで、その方が担当する6名の患者さんを通じて、生命倫理を考えていくプロセスを描いている映画なんですが、最後に出てくる人が、主人公のお父さんなんです。お父さんもお医者さんだったんですよね。

武田
武田

ほぉ~。

篠原
篠原

で、中々治る見込みのない病を患っていて、最期、命に対してどうしていくかという。いわゆる、積極的な安楽死について描かれているんですよね。

武田
武田

なるほど!

篠原
篠原

他にも、作中では10歳未満の女の子や働き盛りの世代の方も出てきたりするのですが、そういった方に対しての終末期の医療についても描かれています。現在、コロナ禍で在宅医療に注目が集まっていると思うのですが、その中で公開になる映画ということで。誰しもが終末期の医療と向き合う場面が出てきますから、是非この映画を見て頂けたらと思います。

武田
武田

この6人の患者さんというのは、それぞれ違った症状で亡くなる方を描いているのかな?

篠原
篠原

そうですね。働き盛り世代で会社を経営しているような方が、お金に糸目をつけないから医療を整えたいという人や、治る見込みのない病を患っている児童に対する医療について描いていたり、医者の最期についてですとか、本当に、色々な描かれ方をされていて。受け止める方も、色々な状況下にいらっしゃる方が見るのはとてもいいのではないかと思いますね。

武田
武田

ほお、なるほど。このコロナ禍で、様々な人が死に対して関心をお持ちになっていますから、こういう時期に合わせて上映されるように準備していたのかな?

篠原
篠原

撮影期間はおそらくコロナ前であったと思いますし、撮影スケジュールも結構変更になったと思います。

武田
武田

そうだろうねぇ。

篠原
篠原

この、治すことだけが医療の役目なのだろうか?というところを、真正面から捉えている映画で、この問題について、現在多くの人が問われているのだけれども、きちんとしたガイドラインとか、正解というのが見つけづらいものなので。

武田
武田

これは難しいだろうね。

篠原
篠原

こういった問題に対して、映画や小説に触れて考えてみるというのは、いいきっかけになると思いますね。

武田
武田

なるほどねぇ。

篠原
篠原

あと、タイムリーなところでいくと、私は先月に上田市の真田町にある訪問看護ステーション真田にお伺いしまして、地域包括支援センターの方や訪問看護ステーションの方、あとは地域のお医者さまに向けて、葬儀社というか、おくりびとの目線で、亡くなった方の遺体の経過ですとか、おくる医療に日々接している訪問看護ステーションの方たちにとって、どのようにしていくべきなのかという。我々なんかは毎日人の死に触れる仕事をしていますけれども、継続可能なエンディングワークというのはどうやって実現するのかというところを、医療従事者の方々とお話してきました。

武田
武田

なるほど、そういうことですか。

篠原
篠原

仕事というのは肉体労働と知識労働というものに分かれるのですが、私はここに「感情労働」というものが入ると思っているんです。

武田
武田

感情労働ね、なるほど。

篠原
篠原

これは終末期の医療に携わっている方、看護師、我々のような葬儀社もそうですし、介護分野もそうですよね。こういったことに携わっている方というのは、目に見えない疲労感、感情労働というのが、実は結構大きなウェイトを占めていると思っていまして。で、この時に我々葬儀社が役に立つと私は思っていて。

武田
武田

うん。

篠原
篠原

といいますのも、人類史というものが2000年以上ありますけれども、2000年前の人も身近な方の死に接していましたし、この感情にどう折り合いをつけていったらいいのだろうかというところで、解釈の仕方というのが沢山ありますよね。まさに我々は葬儀社で命というのを霊的側面というか、宗教的側面から見るということがありますけれども。

武田
武田

はいはい。

篠原
篠原

例えば日本でいけば神道や仏教での命の考え方、世界でいけばキリスト教やイスラム教と様々ありますけれども、それぞれの宗教での命の解釈というのはどうなっているのだろうかというのを我々葬儀社は学んでご説明しながら接しているわけですけれども、これが実は医療や介護の業界の方にとって、重要な気づきがあるのではないかと。

武田
武田

そうかも知れないねぇ。

篠原
篠原

結論を言いますと、すべての宗教で共通して言えることは、「身近な方の死をある意味で受け入れていない」んですね。

武田
武田

うん。

篠原
篠原

例えば、キリスト教のお葬式というのは「復活祭」ということで、生き返るという考えでお式を行いますし、イスラム教も同様で、審判を受け、裁判の後に生き返るという。そのため、遺体を残すために土葬をする訳です。

武田
武田

ええ。

篠原
篠原

で、日本の宗教でも、生まれ変わるという考えがあります。

武田
武田

そうですね。仏教では六道という6つの世界があって、ひどいことをすると地獄に落ちるよというのがありますけれどもね。

篠原
篠原

六道についても色々な話があって、江戸の頃は4つの道だったのですが、2つの地獄が増えて現在の6つになったのですが。まぁ、命が無くならず続いていくという考えがあるのですね。

武田
武田

うん。

篠原
篠原

あとは、日本古来と言われる神道では、御霊移しを行って、生き続けるというのが死の解釈になります。やはり世界中の宗教を見ても、身近な方の死というのは受け入れないというか、傍らに置いて、その人と新たに生きていくというような解釈になっているんですよね。

武田
武田

ふむ。

篠原
篠原

ですので、今回訪問看護ステーションに伺って、患者さんたちとの関係を新たに結び直すといったようなことについての解釈について少しお伝えしたりしました。

武田
武田

なるほどねぇ、深いものがありますね。さて、今月上映される「いのちの停車場」ですが、終末期の医療を考えるためにも、是非みなさん映画館に足を運んで下さいね。今は映画館も三密回避対策しているだろうからね。

篠原
篠原

そうですね。いい機会になると思いますので、是非ご覧になって下さい。

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