2021.03.20「1970年から今日までの弔いの変化」

おくりびとからのメッセージ

武田
武田

今日は弔いについてのお話だそうですな?

篠原
篠原

はい。実は、1970年から今日まで、革命的に日本人の弔いというのが変化したんです。

武田
武田

1970年というと、50年前くらいだね。

篠原
篠原

その変化についてご紹介したいと思ったのですが、昨日のニュースで、3月18日にワタベウェディングさんが私的整理になるということで。いわゆる、会社を一旦閉じて、キャベジンで有名な興和へ完全子会社化されるというニュースが日経新聞で流れたのですが。

武田
武田

ほぉ。

篠原
篠原

ワタベウェディングさんと言えば、1973年に日本初のハワイに挙式の子会社を作って。

武田
武田

そうなんだ。

篠原
篠原

いわゆる海外のリゾートウエディングの走りで、国内大手だったんですよね。それが債務超過になり、昨日の報道になったと。

武田
武田

ということは、ウェディング業界も今すごく大変なんだね。

篠原
篠原

そうですね。でもこれは他人事ではなくて、例えばワタベウェディングさんは海外での挙式の他にも、目黒にある雅叙園東京の運営もしていたり、全国のメルパルクの運営もしていらっしゃるんですよね。

武田
武田

ふ~ん。

篠原
篠原

今後どうなるかという情報はまだ出ていないですが、コロナ禍で業界が現在進行形で変わってきていると感じますね。

武田
武田

深刻な業界って結構たくさんあるよね。

篠原
篠原

そうなんです。実際、葬祭業界も大きな影響を受けていて、人も集まれないので後日お知らせをするような形が、まだまだ続いていますよね。

武田
武田

何とか早く終息してくれないかと思うんだけど、変異ウイルスなんていうのが出てきてね。コロナも生きるために一生懸命だからねぇ。

篠原
篠原

そうですね。まだちょっとこういった付き合いが続くと思います。

武田
武田

はい。

篠原
篠原

最初にちょっと触れたいのが、1970年までの日本のお葬式といえば、いわゆる葬列型葬儀だったんですよね。行列をつくって、山とかにあるお墓に向かって歩いていくと。この道すがらに告別の式として、お世話になった方々に挨拶をして、ご自宅やお墓での式を以て土葬をするという。

武田
武田

私は、親戚の母の妹さんが若くして亡くなってしまって、穴を掘って土葬をするところを見たことがありますね。

篠原
篠原

土葬が一般的だったのですが、これが1970年頃から告別式中心型ということで、村の集会場のような所に集まって、今までの葬列型とは違ったお別れのスタイルで行ったという。

武田
武田

そうですね。

篠原
篠原

まぁ、いきなり切り替わることはないので、並走して行っていたわけですが、そういった文化変容があったり。あとは、1976年には、「安楽死協会」というのが発足して。

武田
武田

あ、そういうのがあったんですね。

篠原
篠原

現在は名前が変わって、「日本尊厳死協会」となりましたが。

武田
武田

安楽死から尊厳死に変わったんですね。

篠原
篠原

この時代から、今現在もクローズアップされていますが、例えば、スペインで安楽死容認法案が可決されたというニュースが昨日流れていましたが。

武田
武田

なるほど。

篠原
篠原

EUの国の中で4ヵ国目に認められました。安楽死というのはまだまだ多くの国で認められていないのですが、比較的ヨーロッパは進んでいて、今回スペインが認められたということで。ただし、条件として回復の見込みがなくて堪えがたい苦痛を伴う想い慢性疾患があるというときに限って利用できる、適用される法律なんですけどね。

武田
武田

ということは、ドクターがちゃんと診断を下さないと難しいということですね。

篠原
篠原

その通りです。これもスパッと導入になったわけではなくて、未だにスペイン国内では反対の声もあって、議論が続いているという状況のようですね。他にも、1980年に病院で亡くなる人が全体の過半数を超えた。

武田
武田

ああ、それまでは家庭で亡くなる人が多かったんだね。

篠原
篠原

そうですね。自宅でお見取りを行うというのが普通の時代でしたから。

武田
武田

私が中学生の時、おばあちゃんが亡くなった場所はやはり自宅でした。だから、亡くなった瞬間を目撃しています。当時の子供は死というものを身近に感じることができましたよね。

篠原
篠原

よく、死の生活離れと言うのですが、死というものはプロセスがあって、だんだん衰え行く家族と過ごす時間というものがあるわけなのですが、これが病院の中で閉じられてしまったというようなことが言われていますけれど。

武田
武田

うん。

篠原
篠原

ちなみに、2009年頃は病院死のピークで、88%。9割くらいが病院死というのが、今から12年前くらいの話で。現在はまた在宅というのが増えてきていますけれども。

武田
武田

在宅が増えてきつつあるということですね。

篠原
篠原

これも長いプロセスの中での出来事だったり。あと、お墓の革命が起きたのもこの期間中でして。

武田
武田

ふむ。

篠原
篠原

今ではよく耳にすると思うのですが、永代供養墓といって、いわゆる跡継ぎのいないお墓が発明されたのが、1989年なんですよね。

武田
武田

なるほど。平成の初めだ。

篠原
篠原

いわゆる跡継ぎのいないお墓というのが想定されていなかった、それで成立していた時代というのが長かったわけですね。

武田
武田

私だって4、50代まではお墓が無くなるなんて考えられなかったよ。継ぐ人がいなくなるってこともまず想定しなかったね。

篠原
篠原

そうですよね。当初は、家族といったときに30~50人くらい。親の兄弟、甥、姪など色々な人が家族の括りにありましたけども、今は家族というと同一世帯の5人くらいとか、下手したら3人しか家族として指さないこともありますよね。

武田
武田

本当ですよ。

篠原
篠原

で、1989年に永代供養墓が発明されて、その二年後に散骨というのが日本で初めて行われて。

武田
武田

はは~、なるほどねぇ。

篠原
篠原

ですから、海洋散骨が生まれたわけですよね。これも大きな出来事ですし、1999年には岩手県で樹木葬の墓地というのが初めて生まれるんですよね。

武田
武田

樹木葬っていうのは21世紀前から始まったんだね。

篠原
篠原

ただ、この当時の樹木葬というのは、山林全体をお墓として、墓石などは無く、自然と一体となるという思想の樹木葬でして、今普及している樹木葬とはちょっとスタイルが違うのですが。

武田
武田

今はある山林の一定の区間というのが、法律的に認められているわけ?

篠原
篠原

そうですね。墓石ではなく、シンボルツリーという形での埋葬が今現在普及している樹木葬の形ですね。

武田
武田

なるほど。

篠原
篠原

これがいわゆる都市型樹木葬と言って、2005年に東京の桜葬という、桜の木の下に埋葬を始めたのが走りでして。

武田
武田

なるほど。

篠原
篠原

そこから16年ほど経って、県内でも多数見られるようになってきましたし。

武田
武田

つばさ公益社さんでもやってるよね。

篠原
篠原

そうですね、樹木葬霊園を提供しておりますけれども。やはりだんだんと広まってきているという。あとは阪神淡路大震災や東日本大震災などの震災を契機に暮らしぶりが変わるということが大いにあるのですが、1995年の阪神淡路大震災の後に、関西圏を中心に密葬というのが一つのブームになったんですよね。

武田
武田

ほぉ。

篠原
篠原

告知をしないで行うという。これが転じて家族葬という言葉に変わって人気を集めるようになるのですが。紐解いていくと、95年くらいから小規模葬や無宗教での自由葬といったような、宗教者の方を呼ばないお式というのが行われ始めたのがこの頃だったんですよね。

武田
武田

なるほどねぇ。

篠原
篠原

その他にも様々ありますが、例えば人生100年時代と言われるようになったわけですが、1998年に、日本人で100歳以上の人が一万人を超えたと。

武田
武田

そうか。長野オリンピックの年だわ。

篠原
篠原

ちなみにもう少し遡ると、1963年が統計開始なんですが。

武田
武田

153人。

篠原
篠原

ああ!そうなんです!すごく詳しいですね(笑)今から70年前くらいは153人くらいしかいなかったんです。

武田
武田

そうですよ。だから当時は100歳になると、知事から金杯とか頂くというね。

篠原
篠原

百寿者といって、非常に尊ばれたわけですよね。

武田
武田

今はもう七万人以上じゃないの?

篠原
篠原

それが、昨年の2020年9月1日発表ですと八万人を達成したということで。

武田
武田

ほぉ~!

篠原
篠原

ちなみに、この八万人の中の全体の88%は女性だということで。女性が長生きする時代になっているということですよね。

武田
武田

そういうことだね。ふ~ん。

篠原
篠原

ちなみに、100歳以上の人口が増えているのは今回の統計で50年連続ということで。ですから本当に100歳時代というのは目の前に来ていて、我々はある意味、長く生きるための生活というのをある程度考えながら、ということになるわけですよね。

武田
武田

私の小学生時代は、人生50年と言われていましたよ。だから、倍ですよ!大変な事ですよ、これ。

篠原
篠原

戦後の日本が50数歳くらいだったと思うのですが、倍になったということで。あと、この時代を振り返ってくるときに、感染症や超高齢化社会や自死といったところがキーワードになってくるのですが、感染症というところに触れますと、今次世代のキーワードと言われている弔いのワードがあるんですね。

武田
武田

ほぉ。

篠原
篠原

これはアメリカ発の言葉なのですが、「曖昧な喪失」という言葉が各所で使われるようになってきていまして。

武田
武田

曖昧な喪失?喪失というのは、亡くなるという意味だね?

篠原
篠原

そうですね、亡くなるという意味なんですが、例えば、志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなられましたけれども、従来であれば多くの方が最期に立ち会っておくったと思うのですが、コロナ禍でのおくり方としたら、故人様を透明な袋の中(納体袋)に入れなければいけなくて、お棺にお納めして、棺自体、密閉してしまうと。

武田
武田

そういうことか。

篠原
篠原

立ち合いもできなくて、家族は遺骨だけ引き渡されるという。この曖昧な喪失という言葉が生まれたのは2001年の同時多発テロの時に、いわゆる遺体の発見ができなかった方というのが大勢いらっしゃって。

武田
武田

まぁ、そうでしょうねぇ。

篠原
篠原

家族に寄りそうという研究をしていた、家族ケアをされているポーリン・ボス教授という方が、こうした言葉でその状態を定義されて、どう寄り添うべきか発信されていたのですが。現在新型コロナウイルスが大流行している中で、曖昧な喪失というか、お別れの境目がなく、現実感がないというような問題が起きていると。

武田
武田

だから、目に見えるような形で、自覚できるような形でのお別れが出来ないような時代になっちゃってるね、今は。

篠原
篠原

また、人が集まれなくなって簡易化されて、時間的にも一日葬というのが増えてきているんですよね。

武田
武田

一日葬ね、なるほどねぇ。

篠原
篠原

かつては通夜、葬儀があって、さらに言うとその前後に3日、4日かけて行ったものですけれども、一日葬は日帰りで、宿泊しないという。つまり、一日の中で通夜、葬儀を行うという形が国内的に非常に増えてきています。そして、簡易化の果ては火葬式という、弔いの宗教儀礼がないという形も増えてきていますけれど、こうした無宗教化していく中で、かつての葬送プロセスというのがごっそり抜け落ちてしまって、現実感が無い要因になっていると思うんですよね。

武田
武田

確かにそうですねぇ。昔は自宅で家族が亡くなるという経験をしましたが、今は曖昧な喪失というのが増えてきていると。死というものが自分と全く関係がないような雰囲気を感じてしまうかも知れないね。

篠原
篠原

そうですね。死というものが切り離されて、介護や死の現場に触れることがなくて、生き死にの最期に触れる機会がなくなっていますけれども、それが加速してきているという感じがしますよね。

武田
武田

これ、コロナが終息した後は元の形に戻る可能性があるのかね?

篠原
篠原

昨年の流れを見ていますと、去年の2月から夏にかけては一頃元に戻ったんですよね。

武田
武田

やっぱりね。

篠原
篠原

4月~5月に緊急事態宣言で非常に規模が小さくなって、8月~10月くらいに少し戻って、告別式を行ったりしました。今は気の抜けない状況が続いていますね。このプロセスを見ると、ある程度は戻ると思いますが、元の生活に戻るかというと、戻らないですよね。

武田
武田

でも、私としては、生物とは必ず亡くなるのだから、死というものを日常から全く遠ざけるのではなくて、日常の中に死があるという考えで生きていた方が、人間的な感情だとかが湧いてくる気がするけどね。

篠原
篠原

寿命を知るというのが人間の大きな特徴だと思うんですよね。自分がやがて死するものだと。これが太陽と死は直視できないということで、普段は見ないという心の働きをするのですが、見ることで有限さを実感できて、例えば奥さんがご飯を作ってくれることに尊さを感じたり。

武田
武田

感じるよね。さて、今回は篠原さんに弔いの変遷を語っていただきました!ありがとうございました。

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