高齢の親の中には「子どもたちに迷惑をかけたくない、葬儀は簡単でいい」という人がいます。
近年は子どもから高齢の親に対して「もう友だちもみんないなくなったし、内輪だけでいいよね。大がかりにやるのは面倒だし。」と家族葬を提案されることも多いようです。
そこで、よく言われる「家族葬」は本当に簡単なのか、面倒がないのか解説していきたいと思います。
家族葬とは
家族葬は、その名の通り故人の家族だけで行う葬儀です。
ところで「家族」とは何でしょうか。
家族という言葉に定義はありません。
よく家庭や世帯と同じように家族という言葉が使われますが、一番あいまいな言葉が「家族」です。
家庭は、生活を共にする人たちが一緒に生活する場所や営みを意味します。
家族が共有する場も示します。
世帯は、住居と生計を共にする集団を意味します。
家族は社会集団の最小単位と言いますが、「血のつながりがある人の集団」ということもあれば、「ペットも家族」という人もいますね。
このように受け取る人によって違うのが家族です。
例えば高齢の父親が亡くなった時、配偶者である高齢の母親が「お父さんも90歳近かったから、もう職場の人や友だちも、兄姉も亡くなっていないから、家族葬にしましょう」と口にしたとします。
それを聞いて喪主となったあなたは、一体どこまでを「家族」ととらえるでしょう。
喪主のあなたは「母親が施主、自分が喪主、自分の妻、自分の妹とその夫」と直系血族で2親等までとその配偶者、で行うと考えたとします。
そこに直系の2親等なら「孫」も入ると、妻たちが言い出します。
すると、施主となる母親が、「お父さんの妹がまだ元気だから」「お父さんの従妹が近所に住んでるから」と言い出して、結果的に血のつながりのある親族までを「家族」と数えてしまうことが良くあります。
たしかに、父親の妹も2親等になりますし、故人との付き合いの長さだけを考えれば近所に住む従妹たちは孫や嫁よりも古く濃いかもしれません。
このように家族葬という葬儀方法一つをとっても、人によって考え方が違うのです。
家族葬の定義
少子化、核家族の増加などで親族そのものの数が減っています。
ほとんどの家庭では、昭和以前のように兄弟姉妹の数が5人、10人ではありません。
一人っ子になると、兄弟姉妹がいないという人もいます。
さらにその下の世代では、「いとこ」がいない、「おじおば」がいないというのも珍しくないようです。
未婚率も高くなると、喪主にあたる子が独身という人もいます。
家族葬にしよう、となったときに葬儀を行うのが、高齢の母親と喪主の二名だけということもあります。
最近は、自宅の広間で葬儀をおこなうことはほとんどなく、どこか会場を借りることになります。
さらに、喪主や施主の負担が増えるため、親の親族に声をかけたり、父親の親しい人にも知らせる、ということも出てきます。
家族葬にしようと考えても、一体何が家族葬というのか迷ってしまう状況も少なくないようです。
このように「家族」に対する考え方が人それぞれになってしまうため、一般的に「家族葬」の定義は「家族を中心に、故人と親しい人だけでお見送りをする葬儀」のことにされているようです。
家族葬だから「家族だけ」ということではなく、故人と縁のある人が最後のお別れをする葬儀の形態、と考えると良いかもしれません。
一番大事なことは遺族で話し合うことですが、どうしても決められない場合は葬儀会社の担当者に相談したり、先人の知恵を借りてみましょう。
家族葬の範囲
喪主と母親の中で、葬儀に呼ぶ人が決まれば、その人たちが「家族葬」に来ていただく範囲となります。
一般の葬儀は、故人の知人や親族、遺族の知人だけでなく、近所の人や遺族の職場の人、故人が現役のころの会社の部下や後輩、とかなり広い範囲の人が参列することになるようです。
中には、故人も喪主も会ったことがない母親側の友人まで参列することも。
そのため遺族の中には参列者と初めて会う、一体どんな知り合いなのかすらわからない、という人まで参列してしまうことがよくあります。
喪主の職場の同僚が参列した場合、参列者にとって故人は全く見も知らぬ他人ということになるのです。
バブル期以前の日本では、冠婚葬祭をより派手に行うことがよくありました。
そのため、見も知らぬ参列者が来ることもあったようです。
仕事のおつきあい、近所のおつきあいといったことになるのでしょう。
それに対して、家族葬は本当に故人と親しかった人や親族のみが参列します。
ご遺体と別れを惜しみながら思い出を語ったり、遺族と一緒に故人との思い出を話したりと、一人一人が心から葬儀に向き合うことができます。
家族葬は「規模の小さな葬儀」「故人を良く知る人だけが集まる葬儀」という定義のため、血縁関係がない人も含め「参列する誰もが故人を良く知る人の集まり」の葬儀です。
家族葬で呼ぶ範囲は、喪主と残された家族、そして故人が「終活ノート」などを残していれば、その中に入っている本当に親しい人だけを呼ぶ、という形で良いのではないでしょうか。
それは家族葬ではない?
義理やおつきあいで参列するような人がいない家族葬ですが、地域によっては驚くような慣習が残っている場所があります。
地域によっては逝去を知らせるため、地元の新聞に掲載されたり、地方局のテレビでお悔みの放送をするところもあるようです。
都会で暮らす若い人世帯にとっては驚くような常識かもしれません。
そうした告知をすると、声をかけていないはずの人が参列する場合があります。
また、規模を小さくしたいから家族葬にしたのに、親族の範囲がいつの間にか膨れ上がっていることもあります。
故人の兄弟姉妹にだけ声をかけたら、その孫まで来た。
大人だけで行うつもりが、子どもが来たことで想定外のことが起こってしまった。
火葬や告別式に飽きてしまって、式場で騒がれたり、ゲーム機で遊んでいるようでは、少々頭が痛いですね。
家族葬のつもりが、声をかけた兄弟姉妹によってこういった問題が起こることもあります。
このように親族的には、四親等どころか五親等以上離れている、という人がいつの間にか参列しているのです。
参列していただくことはありがたいですが、香典返しや精進落としなど、想定外のお金がかかってしまっては、家族葬の意味がなくなってしまいます。
家族葬を行う場合は、親族にもその旨を伝え、準備の段階でしっかりと人数や参列者のことを把握しておくことも大切かもしれません。
まとめ
葬儀の形式は喪主や施主が決めることです。
しかし、一番尊重されるべきなのは故人の気持ちです。
安易に家族葬でいいと決め、故人とお別れを言いたい人が参列できないこともあります。
また、故人にも家族葬で参列してほしい人など希望があるかもしれません。
自身が高齢になったら「終活ノート」などを利用して、できるだけ自分の言葉で意志を残しておくことは、大切なことかもしれません。
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