急に寒くなりまして。
今、篠原さんのお住まいはどちらですか?
佐久市です。
佐久市は冬結構寒いでしょう?
そうですね。浅間山の方から冷たい風が吹いてきます。
ね。さて、本日はどのようなお話になりますか?
本日はみなさまに「お墓でお困りのことはありませんか?」と問いかけをしたいと思いまして。
ほぉ。
というのが、日本中でお墓にお悩みの方が増えているんですよね。
理由はシンプルで、「管理がままならない」と。
つまりお墓をつくることに悩んでいるんじゃなくて、あるお墓をどう管理していくかということにだいぶ悩まれていると。
そうなんです。「墓じまい」という言葉を聞いて久しいと思いますが、これもお墓の管理負担がこれからを考えると厳しいんじゃないかと考えている方のひとつの選択ですよね。
今、日本中でお困りの方が多い「お墓の管理」についてお話していこうと思います。
はい。
お墓といえば、お家から近いところにありましたよね。
そうですね。歩いていける距離が一番いいよな。
これにはいくつか理由があると思っていて、日々お参りができたり、草むしりをしたり、管理が楽だということ。
あと、長野県では長らく土葬の文化がありました。これはお家から、または村の公会堂からお墓までの間がいわゆる告別式の道中だったということで、村を歩きながらみなさんで最後のお別れを道すがらするという。この行列に様々な意味合いがあって、「あ、あの家の跡継ぎはあの人なんだ」とか、本家信託がどこなのか一目でわかるんですよね。
篠原さんは土葬をご覧になったことはありますか?
見たことはないですね。
私は見たことありますよ。母の実家が長野県国見というところで、母の妹さんが10代後半で亡くなってしまって。
まだお若いですね。
彼女を土葬するために、親戚の家から4~500m離れた土地に穴を掘って、そこに埋められたのをまだ小学生くらいの時にしっかりと目撃しましたね。
それは心に刻まれますね。
昔は土葬が当たり前だったんだよね。
土葬は土葬で管理があって、数年すると陥没するのでそれを埋戻しをしたり。なので、お墓と日常の管理って切っても切り離せない関係にありました。あとは日本国内でいくと明治時代の家督制度の中で、個人墓(〇〇家の個別のお墓)というのが急拡大しました。
なるほど。
いわゆる長男以外の次男や三男とかはお墓を家々で新規でつくったわけで。
ものすごく増えたでしょうね。
そうなんです。明治や大正時代は戦争がありましたから。
ただ、これが昭和になってくると高度経済成長期に多くの方がお墓をお買い求めになりました。衣食住が足りて、先祖供養や弔いというところで、国内でお墓が飛ぶように売れた時代があったわけです。
そんな中で、平成、令和ときて、今度は増えすぎたお墓をどうしましょうと。お家も継ぐ人が居れば問題ないのですが。例えば僕の家は娘しかいないですが、結婚すると相手方の家のお墓、と・・・管理しなければいけないお墓がどんどん増えていく定めにあるわけなんですよね。
はい。
そんな中で、少し辿っていきますと昭和時代にお墓に関しての多くの発明がありまして。
発明?
一つ目は両家墓といって、通常「○○家の墓」とありますが、これを「○○家・○○家の墓」といった形で、両名表記でつくるという。
これまでそういうのはなかったんだ。
そうなんです。新しい試みとして昭和時代から両家墓として2家で管理するという。
これが少し進んできて、県内でも多く見られる「カロート」というもので、一族で管理するところもありますね。
ほぉ。
これはいわゆる管理負担を考えて、大きなお墓をつくってみんなで管理していこうというわけです。
そして二つ目は「永代供養墓」です。これはそれこそお墓の集合住宅で、多くの方が入るのですが、管理をするのは例えば自治体とかお寺とかが経営主体となって継続性を担保しているお墓となっています。
他にも発明はありまして、「海洋散骨」が生まれたのも昭和時代だったんですよね。
海洋散骨なんて聞いたことなかったもんねぇ。
長野県はお山はあっても海はないですしね(笑)
ねぇ(笑)
これは昭和50年代の話なんですが、「葬送の自由をすすめる会」という方々が有志でいくつものガイドラインをつくって、それに倣って行ったもので、それを後日法務省見解といって法律が後から追尾する形で、ガイドラインに沿う限りは認めましょうということで、現在もそのガイドラインに沿って行われているのが海洋散骨なんですよね。
なるほど。
最後になりますが「樹木葬」もありますね。
これも以前は考えられなかったですよね。
そうですよね。これは昭和の後期に岩手県で始まりました。
岩手県だったんだ。
当時の樹木葬は今とちょっと違って、「里山型」といって、お山一帯をお墓として、土に撒くことを認める場所をつくったんですよね。これは相当画期的なもので。というのも、土葬の時代を想像すると分かるのですが、遺骨というのは基本土をかぶせたり埋葬するものだったんですよね。
そうですね。
これを散骨という形にした。ただ、骨の形のままという訳にはいかないですよね。
細かくするわけ?
事件性があってはいけないですし、一見して骨と分からないような形にするということで、1~2ミリの粉末状にしてから散骨するわけですよね。
海洋散骨もそうじゃなかったでしたっけ?つまり海を樹木にしたという感じだね?
そうですね。タイミングとしては海洋散骨の方が少し後にできた埋葬の形です。
最近の樹木葬といえば、ガーデン型・公園型が多く、散骨ではなく埋葬する形が多いですね。
ということは、昭和の時代に海洋散骨や樹木葬ができて、膨大な数の墓石が余っちゃうんじゃないですか?
実は、お墓のお墓というものが存在していて。お墓の石っていうのは時を経ても変化しないものですから、お墓の処分は大変困るわけですよね。このお墓の管理問題はなぜ起きるのかというところなんですが、かつての歴史では考えられないくらい日本で家族が離れて暮らすようになってきているという。完全にここに尽きると思います。
そうですよね。
明治時代ではここまで家族が離れて暮らすとは想定できなかったんですよね。
でしょうね。今では海外とかあるもんね。
そうするとかつてのような、例えばお盆、お彼岸に2回、お正月と、この4回のお墓参りすらちょっと危ういですよね。そうすると、草刈はもちろん掃除もままならなくなってきて、いよいよ管理をどうしようかとお悩みの方が大勢いるのではないかと。
そして、意外と知られていないと思うのですが、お墓の相続の仕方ってご存じですか?
どうなんだ?
例えばお家・土地・畑は名義変更を行いますよね。お墓の名義変更を行った事がある人はいますか?というところなんですが。
あんまり聞いたことないけどねぇ。
聞かないんですよ。実は、名義変更はしなくていいんです。
あ、そうなんだ?
自然承継といって、基本的にどこかに届け出るということはなくて、問題が起きたときに申請をする申請書方式がとられているんですよね。なので、実はお墓を継続する必要も書面上はないんですよね。
なるほど。
ただ、お墓の管理についてご心配な方も大勢いらっしゃいますよね。近年、墓じまいやいわゆる個別のお墓を閉じて管理を他に任せられるお墓へ移行する方が徐々に増えてきているということで。
ここで若干の告知を交えまして、私共は西軽井沢に樹木葬霊園を持っているのですが、今月新たに小諸市の平原というところに樹木葬霊園の提供を開始いたしまして。場所は佐久北インターチェンジという高速道路の入り口があって、ここから車で5分少々の比較的アクセスのいい場所にあります。日本全国で樹木葬の相場というと、お一人様が埋葬されて大体40万円前後、夫婦で入って70万円くらいというのが相場と言われています。
はいはい。
ちなみにつばさの小諸平原霊園ですと、一人様22万円くらい、夫婦で45万円くらいで提供しています。
これは今からでもお申し込み可能ですか?
はい。今月からスタートしておかげさまでいくつか区画の契約があります。
はい。ということで、お墓の在り方が以前と変わってきているということを頭に入れて、よろしかったらご相談に行ったらいいのではないでしょうか。
心配なことがありましたら是非ご相談いただけたらと思います。
しかし驚きですね、60年でこんなに変化するとは思わなかったね。
そうですね。日本人のライフスタイルに合わせてお墓も変わってきているし、年ごとに発明がされてきているというところで。
ぜひ皆さんもお墓の在り方を考えてみてはいかがでしょうか。
本日もお話ありがとうございました。