篠原さんは今、佐久平におられるんですよね?
そうですね。住んでますし、仕事もそちらで。
先週の土曜日、これから台風19号が日本に上陸するという報道が度々続いたんですが、かなり雨降りましたか?
いやぁ、凄かったですよ。
やっぱりなぁ。
雨も凄かったですが、驚いたのは雨が降る少し前に、けたたましく携帯電話が鳴るんです。Jアラートと言うんでしたか。
そうですね。
佐久では雨が降り始めた午後3時ぐらいから、内山地域で早く非難を始めて下さいというような警報が出ました。
先週の土曜日の午後3時にはもうそんなことがあったんですか?
そうなんです。なので雨脚もそこまでないけれども、危ないかと思いました。結構何度も鳴るので、実際に雨が降ってくる前の明るい時間に身構えることができました。
そういう意味では、事前に災害を知らせるという機能はしていたんでしょうね。
そうですね。そして驚いたのは、携帯電話を仕事柄マナーモードにしてるのですが、 仕事中でも無関係に鳴るんです。来場の皆様の携帯も一斉に鳴りましたが。
(笑)
何事だ!となりました(笑)そういう連絡が早めに入るというのは、素晴らしいなぁと実感しましたけどね。
でも今回は、19号が上陸する前から最大級の警戒が必要だと言っていて、その通りになってしまいましたな。
本当ですね。正直その時を迎えるまで半信半疑でした。長野県の神話というか、守られてるという気持ちがあったので。自分自身も生まれてこの方岡山でして、大きい雨がなかったので本当に驚きました。
私の母親が千曲川の近くに住んでいたので、危ないから自宅に呼んで一緒に過ごしたのですが、実際降り始めてから様々な情報が入ってくる中で、一緒にいるのは大事だなぁと感じました。
3時にはそういう緊急のJアラートがきましたが、その後もずっと降り続いていました?
そうですね、午後9時~10時ぐらいまでずっと降り続いていました。
それも尋常な雨ではない。
そうですね、音が普通ではないな、という感じです。
そういう地域の降った雨は、全部千曲川に流れて下流は大変な状況になっちゃう。今回振り返ってみると、なるほどなぁと思います。
その日の夜、NHKのニュース報道や他の民放も見ていましたが、速報性という意味ではTwitterもよく見ていました。
はい。
全国的なニュースとか、SBCさんでも長野や佐久のニュースを早い時間からやっていて情報が知れて有り難かったですが、どこの地区だとかいう細かい情報はネットの方が早くて、佐久の中でも特に被害のあった内山や佐久穂町とかの近くに住んでいらっしゃる方が発信してくれる情報報に触れて恐怖を感じ、事前に色々と動けたのはよかったと思います。
それをいかに避難に生かすかということなんでしょうね。
そうですね。今回この経験をして、頭を過る言葉があったのですが。
なんですか?
「戌の満水」
江戸時代の大洪水ですね。
1742年に、この信州に非常に激烈な台風がきました。長野市内や小布施の方にも石碑などで当時の状況を伝えるものが残っていますが。
柱が立ってて、 戌の満水の時は水がここまできたと。本当に凄い高い所まできたんだよね。
そのようですね。今回もTwitterなどで、戌の満水を思いだそうという様な言葉がみられました。
なるほど。
実際にどの高さまできたのかを調べたら、10m以上、11mほどの高さまで水がきたらしいです。小布施の方に記録があるそうですが。
今回はJRの車両が水に浸かりましたが、あそこは10mくらいの洪水がくる所とされているんだから、それは戌の満水の時を参考にしてんじゃないかなぁ。
おそらくそうでしょうね。実際に県内何カ所かに当時の水位を示す水表があるそうですが…。実に恐ろしい災害でした。現在佐久地域や小諸では、戌の満水の供養が8月1日に行われています。
要するに、次の世代にそれを繋げようという意味合いもあるんだね。
その通りですね。江戸の1740年代に起きた洪水被害で、広い所では集落ごと流されてしまい、亡くなった方も3千人を超えるような当時の恐ろしさを伝える記念碑もできましたし。
はい。
習慣として200年以上、洪水被害に遭った方の供養という意味で、8月1日に供養が行われています。
篠原さんは小さい頃からそういう話を聞いています?
洪水被害があったと聞いておりますね。実際その弔いにも色濃く反映してるところがありまして、佐久や小諸の地域は位牌を分ける習慣があるのですが。
ほぉ。
これはお寺様からお伺いした話ですが、いわゆる分家、本家で親が亡くなった際に、長男、二男含め皆が位牌を分けて貰っていくんです。全国的に見ても結構珍しい文化ですが、理由としては、本家などは大体少し高台にあるそうで。
立地条件が比較的良い場所ですね。
大きい被害があった中で、川の流域近くの家などが流されてしまうと、一緒にご先祖様も流されてしまうようなことがありまして。
そういうことか。
保険をかける意味で、現在でも位牌を分けているのですが、これも辿っていくと洪水被害の教訓として行われているということで。
なるほどね。
日本の歴史と治水というのは、色々な所で資料が出てきていて、国作りとは治水であるというような言葉もありますが。
水を制する者は国を制するってよく言いますよね。
そうですね。今回の洪水があって調べてみましたが、世界的にも例えば文明の起こり、世界四代文明、いずれも川の流域から来ていますが、雨が降れば洪水があったり、水かさが増したり、そういった中人類の治水との戦いの歴史でもあったと。
日本は山岳地帯で非常に急な斜面で、川も非常に速い勢いで流れてくるので、治水の対策が世界的に見ても難しいと言われてるエリアだそうですが、日本の歴史を辿っていくと、弥生の時代には既に治水の工事が様々行われていまして。
う~ん。
有名なのは飛鳥時代に大阪の方で淀川とか大和川といって大きい流域の川があるのですが、仁徳天皇という有名な方が。
有名だね、仁徳天皇陵古墳。
はい。鍵穴型のお墓が有名ですが、実は仁徳天皇は治水に力を入れたという歴史がありまして。
なるほどねぇ。
仁徳天皇を称える意味で、亡くなった後にあれだけ大きなお墓を築かれて、且つお堀がありますが。
はい。
あれは当時の治水工事の土木技術の結晶で、 治水も兼ねたお墓なんです。
なるほどね。
他にも様々な河川の改修。
そうなんですよ。戦国時代の武田信玄の信玄堤は、未だに機能しているんだってね。
今回の雨の時も、1500年代よりもっと前でしょうか、当時の治水工事が現代人を守っていると感じました。
誠に治水というのは、昔も今も大事だということです。
そうですね。今回は本当に教訓をいただいたというか、実体験として辛い体験ではありましたけれども、気をつけていけたらと思います。
今回の災害を教訓にして次に活かすということが非常に大事ですよね。篠原さんのお話でした。