今日はどんなお話になりますかね?
今日は「辞世の句」をテーマに、死生観について見ていけたらと思っています。
現代で辞世の句をやる人は殆どいないだろうなぁ。
そうですね。ただ、辞世の句を現代用語に置き換えるなら、遺言に近いものかも知れませんね。
そういうことかぁ。しかし昔の方は風流と言うか、教養が高かったね。
そうですね。
特に、武士の人なんか、殆ど辞世の句を残して亡くなっていったもんね。
信州では真田丸が大変話題を集めておりますけれど、真田丸が活躍した時代の武将の皆さんが、どんな最期の言葉を残されて旅立たれていったのか、ご紹介したいと思っています。
真田丸といえば、真田家の皆さんということですが、折半から豊臣秀吉さん。
「露と落ち露と消えにしわが身かななにはのことも夢のまた夢」という有名なものがありますな。
まさに夢の中で夢を見ているようだよねと、疾風怒濤といいますか、時代を駆け抜けていった訳ですから。まぁ、本人からしてみれば、本当にあれは現実だったのだろうか、と思って、最期に言葉で残していますね。
豊臣秀吉は百姓の出身でしょ?それで天下の第一人者になったんだから、夢のような、本当に現実だったんだろうかって思うよね、きっと。
現代の我々でさえ思いますし、当時の身分の中からいけば、それこそ夢のようなサクセスストーリーといいますか、近代稀に見る駆け上がり方といいますか、ですよね。
自分でも驚いてただろうね。
そうですね。場面の描かれ方は様々ですけれども、いろいろな反応があってのことだと思うところですね。
でも、最期に「露」というものを自分に置き換えたあたりが、非常に日本人らしいですよね。
そうですね。
実は、大谷吉継さんと石田三成さんも辞世の句を残しておりまして。
これは知らないねぇ。
大谷吉継さんは「契りあらば六つのちまたに待てしばしおくれ先立つたがひありとも」という辞世の句を残しておりまして。
これは知らないねぇ。
難しいねぇ。
大谷さんは周辺の裏切りなどがあって、まさかという形で最期を迎えられるわけですが、最期は自死するんですよね。
そうなんですよね。
で、その中で契りあらばという、来世でも主従の関係は続くという言葉からいきなり始まって、自分は先に逝くけれども来世の六つのちまた、いわゆる六道ですね。生まれ変わる先の六つ分かれている道の真ん中で待ってるよという意味で。
どっちが先に死んでもあの世の底で待っているからということを言い残されていまして。
ほぉ~。
その情景が浮かんできますよね。
大谷さんは病気がちでね、ハンセン病とか色々あるんですけど、最期は小早川秀秋が裏切って、この小早川の軍勢に大谷さんは追い詰められるんですよね。私、関ケ原行ったけれど大谷さんってすごく人気があるんですよ。いつもお墓に花束が飾られているんですよ。
志の人というか、友情に熱いというか。
そうなんですよ。なんで石田三成に味方したかというと、これも諸説あるんですよ。茶会でね、昔の茶会って小間に入ってそれぞれ濃茶を回し飲みするでしょ?
はい。
自分の後に石田さんがいて、大谷さんがお茶を飲むときに顔から膿が出ちゃって茶の中にボタボタっと入っちゃったのね。
なるほど。
普通、そんなの飲むの嫌じゃない。でも、石田さんは見ていたけれど、何も感情を表さずにスッとお茶を飲んで回したと。これにえらい感動してね。最初は大谷さんは東軍に味方する為に出世したんだけど、途中で三成の説得で三成側になるんですよね。どうやら友情を感じていたようですね。
なんといいますか、真田丸の中でも正妻として迎えた大谷の娘さん。
そう。信繁のカミさんですな。
描かれ方としても人望に熱いところがあって、様々教えを請うシーンなんかもあって、そういうのが見て取れるなぁというところですよね。まあ、まさかというところで西軍が破れていったと思うのですが、石田三成さんの残した辞世の句を。
どんなんでしょう?
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」要約すると、琵琶湖の北東部にいる自分、これも芦間に燃えているかがり火のようにもうすぐ自分の命も燃え尽きてしまうのかな、という儚げな言葉を残していまして。
ふ~ん。
辞世の句というのはなかなか難しくて、例えば龍馬さんが暗殺にあったりなんかすると、辞世の句として残すのは難しいですよね。石田三成さんにしても時間がない中で残した言葉なのではないかと言われていて、様々な状況の中でもうすぐ自分の命が燃え尽きてしまうというのを感じながら残した言葉なんですよね。
なるほど。三成は結局処刑されますからね。この三成も面白い話があってさ、処刑される前に誰かが青い柿を差し入れたんだってさ。そしたらそんなものを食べると下痢になるから食べないんだよって言ったんだって。だってこれからあなた処刑されるでしょって(笑)で、健康を保つことって大事なんだよって言った言わないっていう話もあるんだよな。
逸話ですよね。とても面白いですよね。せっかく真田丸のお話をしているので、真田信繁さんの辞世の句というのがあるのですが。
彼だって、打首覚悟で夏の陣へ出ていったからね。
亡くなり方という意味では、夏の陣を終えて戻るさなかで、暗殺に近いような形で亡くなられているそうですので、辞世の句といいますか、無くなる前に何通かやりとりをした手紙の中の一文のようですが。
なるほど。
「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候」現世は浮き沈みもあれば激しい変動の中にあって、一刻先のことは全く分からないという言葉を残されているようですが。
うん。
やはり武将として生きていた方たちというのは、後ろに死を感じながら、自身も相手に死を与える存在でもあるわけで、非常にその中で死生観というか、死の縁に立っているんだと感じます。
いつ死ぬか分からない、死が隣り合わせに生きている時代というのは、我々信じられないよな。どういう精神状況なんだろうね。
そうですね。想像してみても、想像が及ばないところもありますよね。特徴のある辞世の句を残している武将も何人かいて、掻い摘んで紹介したいと思うのですが、私も個人的に好きな方で、上杉謙信さんという方。この方の辞世の句が「四十九年一睡の夢 一期の栄華一盃の酒」
分かるような気がするねぇ。
49年の生涯だったようなんですが、まるで一炊の夢のようであったと。そして様々な活躍をして、その誉れを得た方なんですが、その栄華は一時のものであって、その一杯の酒のようであると。
う~ん。スッと飲み干せば終わりと(笑)
何というか、重いといいますか、短い文章から感じられる沢山の想いを感じる部分もあるんですが。実はこの辞世の句というのは海外でも紹介されていまして。
ほぉ。
近年、Japanese Death Poemsと言うそうなんですが。
Death Poemsかぁ、死詩ですね(笑)
これは、Japanese Death Poemsという海外の書籍が発売されまして、Amazonで日本でも買えるんですが、戦国時代から明治、幕末、または近代でも辞世の句として残している言葉から、日本人の死というものを翻訳して話題を集めているようです。辞世の句というのは日本人の独特な死生観というものがありまして、これは現代に生きる私達も何か学ぶところがあるのではないかと思いますね。
なるほど。いままでの辞世の句を聞いていると、どの武将にも無常観というものがあるような気がするね。
そうですね、一刻先のことは分からず常に流転しているというか。まぁ、辞世の句には様々な分類があるようなんですが、「願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月の頃」このような自然に還りたいというような、消えてなくなれたらというような、美しさすら感じるような言葉もあれば、未練タラタラなものがあったり。
あるんかね?
例えば、本多忠勝。「死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば」という辞世の句なんですが。
死にともなって、死にたくないってこと?
そうなんです。本多忠勝さんが亡くなったのは1610年なんですが、徳川家康が存命中だった時代で、生前中に徳川家康さんから受けた御恩を感じるならば、自分が先立つのは申し訳がないという。まぁその数年後に家康さんも亡くなられているんですが。その現世での未練というものが非常に強く感じられると。
しかも、その未練は自分の為じゃないのが面白いよね。主君の家康の為。家康さんより早く死ぬなんて申し訳ないというね。
来世でも君を守ろうなんて言う言葉をのこしていたり、何というか忠義を感じる方ですよね。
昔の方は主君が亡くなれば自分も亡くなるという。乃木希典さんがそうだよね。明治天皇が亡くなったから自死するわけだから。そう考えると、日本って面白い国だねぇ。
そうですね。日本の死から感じるものというのはありますよね。ちょっと最後に徳川家康の辞世の句を。
はい。
「うれしやと 二度(ふたたび)さめて ひとねむり 浮世の夢は 暁の空」という。家康さんは非常に成し得た、万感の思いを持って亡くなられていて、嬉しいと思ってその嬉しさで眠りから覚めるんですね。で、夢だったのか、もう一眠りしようと。現実の夢は夜明け前なんだということで、自分が天下の大名を成し得て世の中の夜明けはこれからやってくるぞと。万感の思いがあったようですね。
なるほどね。色々な辞世の句をご紹介していただきました。我々も辞世の句を書いてみようかな?
まあ、家族向けに何か言葉を残したらいいのではないかと思います。
はい。今日は篠原さんに辞世の句についてお話をしていただきました。
ありがとうございました。